気分やさんの気ままなブログ

【言葉の力】

 昨日、東京に行きました。夜に人と会う約束があったのですがそれまでフリーだったので調べ的になった場所に行きました。そのうちの1つが相田みつを美術館でした。

 行こうと思った大きな理由は、先日インタビューゲームをした時に相手の方が行ってきて心に残ったものがあったと言っていたので自分も行ってみたい、そしてあわよくば同じものを見てきてその人の人となりを少しでも見られたらなという思いをもったのです。それらが理由の70%ほど。15%はこうやってブログを書き続けているからこそのものです。いつも書いていると思うのですが、言葉に困るのです。特に1文の語尾であったり文頭、それから接続語というような文の構成に関することもあれば、どういった言葉やたとえを用いれば読んでいる人に溶け込むように書けるのかにも悩むものです。そして後の15%は中田敦彦さんの講演会に行った時に相田みつをさんが話に出てきて、今の自分はこういうタイプだわ、と思ったことがあったことです。

 書や詩になっていて響いたことを紹介しようと思います。

 

ひとつの事

でもなかなか

思うようには

ならないもの

ですだから

わたしはひとつ

の事を一生

けんめいやって

いるのです

  これは本当に悟りの境地だなと思いました。本当にいろんな経験をしてきて数多くの失敗も味わった先でこそこうやって思い続けられるのだろうなと思います。やはり二兎を追ってしまうのです。

 

雨の日には

雨の中を

風の日には

風の中を 

  この書の説明書きには、困難に突き当たった時には人間中心にものごとを考えるのではなくその状況を受け入れる、ということが書かれていました。羽生さんの本の感想を書いたばっかですが、同じ世界を見ているのだと思います。それにしても空を詩の題材にされていると惹かれるものがあります。別の場所に「空」という字が般若心経の中に多く出てくるということが紹介されていましたが、使われている意味合いは「そら」と「から」でちがうかもしれませんが、関係がないというわけではないように思えるのです。

 

そのままでいいがな 

  ここで使われている「がな」は相田さんの地元の方言で「ありのままでいい」というような意味のようです。しかし美術館の館長である息子さんはこの言葉をそのような意味以上の、「がな」独自のニュアンスまで計算して使っていると考えています。この紹介文でふと言葉にも「計算する」ということがあるのだなと思ったのでした。

 

自分のいのちが大切だからこそすべての他人のいのちが大切

  これを書いた背景には、相田さんの兄が仕事で中国に行って中国人を裁くことが仕事でしたが、すべての人を無罪放免にしているそうです。それはその中国人の人にも大切な人がいて、自分も大切な人を殺されたら、ということから無罪としているのです。このようなことから生まれた詩ですが、自分と他のことはすべてつながっているのだと改めて考えさせられました。

 

うばい合えば足らぬ

分け合えば余る 

  戦時中の物資が乏しい時代の詩ですが、これを見た時に「余り」ってなんだろうと思いました。余った時には誰かほしい人にあげることもあれば、お金だと次の機会まで積み立てることもできます。いっそのこと募金するという選択だってできます。足らない時にはどう解消するか1つのことに絞っていくような感覚ですが、余った時には選択肢できて気が楽でいられます。心に余裕ができるのです。これにも「余」が使われているんですよね。

  

浄玻璃の

鏡の前に立つまでは

秘めておきたし

あのことも

このことも

  「浄玻璃の鏡」とは閻魔様が持っている鏡で、人の罪を全て写し出すものだそうです。ところでですが「浄玻璃」は“じょうはり”と読みます。それを知った時「ジョハリの窓」と関係があるのかと思いましたが残念ながら見当違いでした(笑)(“ジョハリ”は提案した2人の心理学者の名前を組み合わせてついたもののようです。) ですが、「ジョハリの窓」とは自己開示し合うことで相手や自分自身のまだ気づいていない部分を知るというものですが、その自己開示の中には罪についても含まれているでしょう。そう思うとたまたまとはいえ2つの名前が似ていることに縁があるものと思えたのでした。

 

  

 相田みつをさんは苦しい生活をしてきて生計を立てるために切り捨てたものもあったようなのですが、だからこそお金に対しても有ることにありがたさを感じて、お金が有れば便利、便利のほうがいいなあ、と心をそのまま言葉に移すことができたのだろうなと思いました。それにしてもこれらの作品の言葉を相田みつをさんは自分の気づきなのか、それとも自然の摂理を取り出して言葉にしているのでしょうか?

 それから造語で”麗老”という言葉を考えたようですが、羽生さんの座右の銘である”玲瓏”に通ずるものがあり、やはりこの2人は似ていると思いました。

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