気分やさんの気ままなブログ

【情報化という流れ】

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 昨日の投稿は行動のレベルでも一番上の「決断」についての話で、その環境や流れを読んだうえでその流れに沿って決断することで無駄な力を使わずに済み、新しいことを切り開く時にこそ自己の中にある力が必要なのだと考えました。ですからまずは自己の中にあるものを引き出すかという見方ではなく自然の流れを読むことが大切なのではないかと考えました。そして決断すること以外の人間がもっている力も同じように環境から生まれてくるのではという考え方から、人間は自然の一部なのではないかと考えるに至ったわけでした。

 

 そして4章に入るのですがここで話が一気に変わります。4章のテーマは情報、つまりはコンピュータなど科学技術が発達した今の社会についての内容です。2・3章で一度目に読んだ時に理解できず読み返しましたが、4章でまた理解ができず読めている感じがしなくなったのです。そして5章のアタマを読んでいて4章から読み返そうと「選択」したのでした。

 ただ読んでいけないのは実は必然的なことで、そもそも僕がコンピュータとかをそもそも好んでいないというのが大きな原因なのです。もちろんコンピュータが進化したことで恩恵を受けていますし利点だってあるので全否定は別にしていないですよ。ただ、好きじゃないものについて話をされても聞く気にはならないものです(笑) 一方で、ずっと「決断」を念頭として読んでいたのも原因なのでした。ですから読み直した時には羽生さんが書いたこの本の流れに沿って読むことを心がけたのでした。そうしたら1回目よりも寄り添うことができたように思えたのでした。

 さて、コンピュータが発達したことによる情報伝達とAI知能の進化という点から見る今と昔の将棋界の違いについて書かれていることをもとに紹介しようと思います。昔はもちろんパソコンがなかったので完全に盤上で実際に駒を動かして考察をしていたことになりますが今ではパソコン上でもやることができるようになりました。そしてかつては手書きであったり本にして管理されていた棋譜がパソコン上で整理された状態で保存され、さらにはその棋譜の途中からでも並べられるようになりました。そして他の対局の棋譜を手に入れるのに何か月もの期間を弄したものが今では動画サイトでリアルタイムに観戦し棋譜を取得できるという昔の人からしたらありえないだろう様相を呈しています。何よりもコンピュータが形勢判断を瞬時に数値として出すのが、もはや異様と言ってもいいでしょう。しかしその一方で一手一手の重みや時間や対局者の様子といった対局中に漂う空気感というのは情報技術が進んでも現場でこそ感じ取れるものだと言っています。

 ですがパソコンの導入でできることが大幅に多くなったのは確かなことです。だからこそ情報化という新しい大きな流れができた今、多くの人がフラットな状態となっていて、そのため新しい決断を次々としていかなければ群を抜けない、むしろおいてかれかねない時代となっているのではないでしょうか。これは将棋界だけのことではないのでしょう。

 しかし、パソコン上では対局中の空気感は学べないということは情報技術の本質を示しているのではないかと思ったのです。これまでにも長々と書いてきましたがものごとには流れがあるのです。それは対局場であることもあれば会議の場、山の中などその場の空気感、空間の中を漂っている流れがあります。それから、将棋であれば1局の中で変化する流れ、会議でも始まってから深い議論を経て終わりを迎えるまでの流れ、大きく言えば歴史とでもいうような、時間により生まれたり変化する流れがあります。自然の中にある流れには空間性と時間性があると言えます。そして人間についてもその場の空間によって、それから時間の変化と共に気持ちが変化しているのでやはり自然の一部なのではないでしょうか。一方でコンピュータはどうなのでしょうか?先ほどの通り空気感、流れは表現できないのです。このような捉え方をした時、コンピュータは自然の中にあるものではないなと改めて考えたのでした。

 とは言うもののコンピュータに流れはあることは確かです。なぜならコンピュータという部分だけに関して考えればコンピュータの歴史があり、情報化に惹かれるたくさんの人がいるわけですから。しかし羽生さんも注意しているのですが、自然とは離れたコンピュータに自然の一部である人間が惹かれるほどの非常に強い流れをコンピュータは持っているのではないでしょうか。それゆえに便利さや快楽さが勝り人間が依存に陥ることになっているように思えます。ですから大切なのは、この情報化という強い流れは本当に自分とつながっている流れなのかと、流れを正しく読むことなのではないでしょうか。自分とつながっていない流れなのに誤って流れに乗ってしまった時に人は間違った方に進んでしまうのではないでしょうか。

 ですがその一方で、もしもこの強い流れを人間が利用することができたり、もはや情報技術を自然と化すことがあれば人間はこれまでよりはるかに進化することになるのではないかとも思ったのでした。もし僕自身がこのようにできることがあればここまでの考えは大きく一変することとなるでしょう。そう考えてみると情報技術の進化にはワクワクします。

 

 そして次はこの本の最後の章で、テーマは「才能」と「学び」です。