気分やさんの気ままなブログ

【才能と学びと決断】

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 ここ数日書いてきた羽生善治さんが書いた『決断力』の感想の続きですが、昨日の投稿では自然の流れとは異なる情報化という非常に強く新しい流れが存在し、それを使う以上人はより新しい流れを切り開く必要があり、そして自分とつながっている流れなのかどうか正しく読むことが必要だという話をしました。

 

 今回で最後となる第5章は、昨日の情報化社会の話は置いておき、「才能」についての話が書かれていました。

 人間には一人一人、ゲームじゃないですが最初にパラメータが割り振られています。そして成長していきパラメータが変化していき、突出した部分が俗に才能と言われるものとなるものです。じゃあどうすればパラメータが伸ばせるのか?それを考えた時に帰着するのが「学ぶ」ことだと思います。そして学ぶことは決断することとある意味同じだとこの本を通して感じたのでした。才能については環境によって突発的な化学反応が起きて発揮されるものなのではと思うのですが、これに対して学ぶことは決断することと同じで自分が目の前にある物事に対して学ぶという道を開くかどうかになると思います。もちろんそれはその環境を読むことで見えることなわけですが。よって決断することと学ぶことは意外と近しいもののように思えます。

 そして羽生さんは才能とは「継続できる情熱である」と考えています。才能というものは発揮できれば無条件に永久的に持ち続けられるものではなく持ち続けるための努力も必要だということでしょう。羽生さんはこの著書の中で将棋だけでなく音楽・絵画・小説・数学・スポーツ・ビジネスと、自分の本職でないことを例えに用いて誰が読んでも分かりやすいように書いてあります。自分とつながっている流れに乗って自分事として学んで将棋の才能を伸ばしているということをこの本が表していると感じました。僕にとってこの本は決断することをはじめ多くのことに関する新しい見方を与えてくれたかけがえのない1冊です。