気分やさんの気ままなブログ

【たまたま方程式という言葉が聞こえて】

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 今日、家に帰ったら「家政婦のミタゾノ」がやっていました。その時、ちょうど方程式が話に持ち出されていました。

 

ぼぉっと聞いていたのでもう表現を正確には覚えていないですが、ニュアンスとしては、

 

方程式はxを求めるものだが、犯人をあぶり出すことでだと思いませんか?容疑者にもxが使われますし。

 

そのような感じでした。聞いた瞬間に2つツッコみたくなりました。

1つは方程式というものに対してそのように見ることが(少なくとも作者は)できるのか!?、でもブラックなものと思ってはほしくないな・・・。

もう1つは、でも確かに両方ともxで、方程式のxは由来を知っているけど容疑者のxの由来は果たして方程式のxから来ているのか?

 

 それ以上は見ずに風呂に行きましたが、不思議な視点だなと思ったのでした。

【平成最後に見た映画】

 まだ令和に入る前の平成の最後の話ですが、映画を見に行きました。既に平成最後に見る映画はこれだと決めていて、計画通り実現しました。

 

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響け!ユーフォニアム ~誓いのフィナーレ~』を見ました。

anime-eupho.com

ネタバレを避けて感想を書くのが困難なのですが、それから始めてそこまでやって終わっちゃう!?という始終でした(笑)

 中の部分については、音楽については作品を知っている人はこれまで通りの演奏のクオリティーが乗っています。

ただ、『リズと青い鳥』の時とは監督あるいは音楽の人が違うことからか音の付け方は変化したなと思いました。どちらもアリなので聴き比べるのもいいかと。

 

 ストーリーについては、2時間という時間の枠はありますが、限られた中でできる限り組み込んであります。

作風も同じ作品ながら監督やテーマが違うことから『リズと青い鳥』とはちがう印象を受けます。

その一方で、時系列的に今作の間に『リズと青い鳥』が入っているので、絶妙に前作の要素を組み込んでいます。

前作を見た人は「あのことだ!」と思える場面がいくつかあります。見ていなくて今作だけでも話が通らないことはないですが見ていた方が楽しめるでしょう。

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ノベルティでもらえたものだけど、この場面とか

 

 ストーリーの中でも人間関係については相変わらずの尖った性格の集合でした(笑) 吹奏楽部ってそういうものなのでしょうか?

1つネタバレを入れると主人公の久美子はやはり失言王でした(笑)

 

 

 これは「そして、次の曲が始まるのです」と、どのような形ででも続編を作ってほしくなる作品でした。

【「令和」ときいて】

 今日といえばほとんどの人が「令和」だと言うでしょう。

 

僕はこの令和という元号を聞いた時に思ったことが次の連想でした。

 

令和→ちょっと付け足すと「零和」→読みかえると「ゼロサム」→ゼロサムゲーム

 

令から零は数学好きという性でしょうか。そんなこんなでゼロサムゲームがやりたいな~という気分です。

 

 ゼロサムゲームがどういうものかというと、プレイヤー間の得失点が一定のゲームです。オセロなんかが分かりやすい例ではないでしょうか。

将棋も今では評価値の判定が作られていてゼロサムゲームと思えつつあります。

 

 

 昨日は大学時代の委員会の同期・先輩に誘われてボードゲームをしてきました。日中2時間で1300円とかなりお手頃価格でした!

 

board-board.net

【飛行機での「どうして?」】

 先日の旅行で高知に行った際、行き方は飛行機を使いました。その乗っている最中に不思議に思ったことがあります。

 

 上昇している時には機体は上向きに傾いています。しかし、飛行機の中で座っている人としてはイスが傾くわけではないので飛行機内で見ている方向は変わりません。

それなのに、今上昇して傾いているということを視覚で認知していたのです。

 

 このことを自分なりに考えた時に2つの理由は思い浮かびました。

1つは機内で見ている方が同じでも、身体に受ける力によって脳が上昇していると認識するのではないかということです。

もう1つは自分の座っている向きを地面とで相対的に考えているのではないかということです。

 

 

 どちらも一理あるものではあります。しかしこれらのことがあったとしても、やはり機体が傾いていると視覚は捉えるのです。

答えが分からずモヤモヤするな~・・・。

【カメラの「良さ」?】

 昨日・一昨日と高地に旅行に行きました。2日間はブログの代わりにカメラで撮った写真を投稿しました。

 

 しかし、今日になってふと思ったことがあります。それは写真の明るさで良し悪しを決めているということです。

自分が撮った写真の良さを判別するのに構図と並んで気にしていることに気が付きました。

 

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1・3枚目の方が自分が気に入った写真ですが、実際の明るさは2・4枚目のようでした。

 

 自分で不思議だなぁと思ったのは、ありのままかどうか関係なしに明るいものを選んでいるということです。

写真を撮る時に露光やISO値などで写真を実際より明るく撮ることができます。なのでこの写真の明るさは偽りなのです。

にもかかわらず自分は明るい方が、自然でない方がいいと思ったのです。スマホのアプリで顔を加工しているのと同じ話でしょう。

 

 

 それでも明るい写真の方がいいのは天気は晴れが一番だと無意識下で思っていたことだからなのでしょうか。

【平成最後も聞き飽きたので】

 もうまもなく「令和」になりますね。学校では、次に会う時は令和になるね、なんて話も出ました。

 

 そして「平成最後の〇〇」も本当に最後ということもありよく使われています。この1年間とても使われましたね。

しかし、もうありきたり過ぎて聞き飽きている人も多いでしょう。

 

 ところで、中学校1年生に数学を教えていて正の数・負の数をやっています。「-4小さい」を「4大きい」と言い換えるような「言葉遊び」をします。

 

 ん、待てよ?「平成最後」って

 

平成(ー最初)

 

って言うのって斬新で新鮮じゃない?

 

 ちなみにこんな話を子どもたちに話したら、1つのクラスでは受けましたが別のクラスでは痛々しい反応が返ってきました(笑)

【変な感覚がする・・・】

 昨日の投稿する文章を考えていた時のことです。ワードで書いてからこっちに張り付けているのですが、

 

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というところを書いた時です。何か以前に書いたことがあるような感じ、デジャブを感じたのです。

もちろん書いたのは初めてなのにです。

 

 時々、いろんな場面でデジャブを感じるのですがどうしてでしょう?しかしながら過去にどのようなデジャブを感じたかはその時しか覚えてないです。

【授業が始まって1週間が経って】

 初めて通年で授業を行うことになったのですが、始まって1週間が過ぎました。

率直に言って、この短い間だけでも疲れました。元気な1年生を相手にしているからというのもあるでしょう。

でも、この上なく楽しいですよ!

 

楽しい授業にするためにも、毎授業で振り返りシートなるものを書かせています。しかしやってみて改めて感じましたが、今の自分の立場だからこそ時間があってできることというものです。

授業外残業は少なくとも2時間というのが今の状態です。見る早さが上がればもう少し短くなるかな~。

 

そのような日が続き、やり慣れていない授業をしていることもあり、疲れが溜まっているのです。

家に帰ったら落ちると感じ、次に意識があった時には2時間過ぎていたということもありました。

 

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 疲れているからこそ寝るのでしょうが、それだけでなく空き時間、または何かをしている時間でも疲れを取る別の方法を見つけたいなと思いました。

 ・・・でもここでお菓子に手を出すと別の問題が起きるのだろうな・・・。

【20回のインタビューゲームを振り返る】

 インタビューゲームの経験を積み重ねて20人とこれまでにやりました。

インタビューゲーム・コミュニケーション カテゴリーの記事一覧 - 気分やさんの気ままなぶろぐ

20人目のことを振り返った時に、キリの良い数ということもあり、1度ここでこれまでを振り返ろうと思ったのでこのブログでの投稿を振り返ってみようと思います。

(だいぶ削りましたがそれでも長いので飛ばしても構いません。)

 

1人目

このゲームを体験したってぐらいで、インタビューゲームの本質の入り口にさえ立っていないほどです。なので正直あまり覚えていません(汗)

2人目

感じたことで一番大きなことは「自由」ということについて。

書き方のルールでは「相手の人になりきるように」とはあるのですが、相手らしさがあったからこそ自分について見つめ直せたり新たに気づいたこともあった

3人目

一番“聞けた”という感じがしました。1つは質問が出し続けられたこと。それから相手の話の核をつかむことができたこと。

実は日常会話とインタビューゲームは紙一重な関係のものなのかもしれない。

4人目

「聞き手話し手のバランス」が崩れてしまっていた。

「聞き手が主導」なのに聞きたいことを聞いてしまったので上手くいかなかった。

日常においても話す人・聞く人の譲り合いがいいってことなんじゃないかな。

5人目

聞き手の主導権をうまく譲るのはなかなか難しい。

日常のコミュニケーションにいかにして落とし込めることができるかということを考えてみました。

6人目

「聞き手が主導」なのでやはり聞く方がスキルは必要なのです。

お互いにどのような心掛けで相手のことを書き、書いてもらったものを読んでいるのか。

いつ・誰と・どんな内容を話したかという時間性も兼ね備えているのだなと実感しました。

7人目

相手の他己紹介文を書く時も話の核が見えていたのでまとめやすかった。

相手の人らしさ100%の文章でした(笑) これを自分らしく読むというのはなんかおかしいなと思って逆に相手の人になりきって読むことにした。

8人目

第3者には気づけないものがある。それは、やり取りをしている両者だけにしか感じることができない安心感や信頼感といった空気感です。

気持ち・心とかその空間の雰囲気とか2人が共通に感じれていることでコミュニケーションしているようにも思った。

 

 

9人目

振り返りをするとお互いのインタビューゲーム中にどのようなことを思ったかが出てくるのですが、それというのはお互いの”価値観”なのです。

このルールの作られ方はどのような場でも生かせると思っています。

暗黙のルール(書かれていない、守りきれない)部分がある。暗黙のルールは暗黙のルールのままでもいいことがあると思います。 

10人目

日常でも無意識に流れから影響受けているんだろうなあ~。

欲張ってはいけないのでしょう。そういう時はだいたいいい状態じゃない。

両者の「ありがとう」が生まれるような話し合いって素敵なことだなと思ったのでした。そのためには相手の人を尊敬する気持ちが必要!

11人目

良くも悪くも「ゆるい」インタビューゲームだった。

カードを介してとまだ訊かれているような感覚がした。

12人目

先に話し手をやる人の状態に相手の人を巻き込んでしまうようで。

有様がカードにそのまま映し出されることとなりました。ただ、カードの内容が暗いということに対しては悪く思っていません。

インタビューゲームは「今」を大切にできるものだなと思えました。

13人目

人に打ち明けられる方法が1つあります。それがインタビューゲームなのです。

(考え続けていること)学校での生徒の教育相談や保護者との面談の時にこのインタビューゲームのルールを活用することです。

14人目

インタビューゲームは相手の価値観を深く知ることが目標なので、すでに知っていることよりはもっと深い新しいことを知りたい。

15人目

(インタビューしたいことは)「好きの本質」について。どのようにしてどこまで「好きなもの」から「好きなこと」を探れるのか試したくなった。

16人目

直感でですが、相手の人のペースに合わせた方がいいインタビューゲームになると思った。

内容がいつもほどでなくても今回は今回だと、それもまた一興と思った。

はじめての人だからこそ何回もやってきている自分が教えられることもあります。最近はこれを楽しみにしている部分もあります。

17人目

毎回やる度に縁を感じます。当たり前に生まれている縁というものを大切にしたらもっと大きなことに気づけるのではないか。

余裕があることはいいことでしょうが、それに満足してはいけませんね。大反省です。

18人目

つなぎを意識して自然な入りから始めることを心がけるとやりやすいのかもしれません。

「これもまた一興」で片づけて味わえるようになったのは繰り返しやってきたからこそかな。

19人目

僕がインタビューゲームをやる時に自分の型がある。

自分がいつもの自分でいられてないという自覚があり、いつも通りに振る舞いたい。

20人目

出来上がった自己紹介文というのは書き手・本人のどちらというものでなく、2人の協同作品なのだと思うことができた。

今となっては書くことに対してではなく表現するのに合う言葉が出てこないことに苦を伴うように変わりました。

手が持っている「感覚」をインタビューで引き出すことに挑戦していきたい。

 

 過去の投稿を見ていて最も感じたことは、最初の頃なんて回数やっていないのに自分の決めつけが多いなということです。

上手くいった・いかなかった、できた・できなかった、必要なのだ、みたいな。質問を出し続けれたことがいいこととは青かったなと思うばかりです。

ある程度経験してきた9回目ぐらいからは何度も同じようなことがあったから言えると思えますが、それまでは固定観念になりかねなかったなと思いました。

今では考え方が固まってきている部分も多いです。しかし、もしかしたら50回とやった時にはまた固定観念だったと同じことを思うこともあるのかもしれません。

 

 それから、このインタビューゲームのルールの作り方を活用することをずっと考え続けているのだと改めて分かりました。

活用にするにあたっては「自由」についてを大切にしたいのですが、2回目から着目していたとは思いませんでした。

インタビューゲームという日常に近いようで非日常性の強いものということもあって一層考えているのではないでしょうか。

 

 一方で、マニアックなものでもあるので抜粋してないですが、将棋に以前は例えることが多かったなと思います、

しかし今はどうかというと、将棋に例えられない部分が出てきました。それは相手の感覚・価値観を引き出すという部分です。

 

 また、回数を重ねるほど「試してみよう」が多く、より挑戦的になっているようにも思えました。「挑戦的」というのは「どうなるか分からないけど」というものです。

特に15人目からは聞き出したいことが概念や価値観や感覚というものに移っています。15人目が大きな転換期だったかもしれません。

 

 

 振り返るのに2日もかかりましたが、回数を重ねるほどコミュニケーションの深い部分に潜り込んでいると分かりました。

 次は50回やることにマイルストーンを置こうと思います。

【今日の投稿はインタビューゲーム20回の・・・】

 今日はインタビューゲームを20回やったということでこれまでの変化や気づきを振り返ろうと思いました。

 

 いやー、しかし自分でもいうのもなんだけど、20回というのはすごいものだ。見返して抜粋するだけでも1時間半かかった。

そして文字数がえらいことになったから、まだ削って、そして気づいたことをまとめるとなるとまだ時間がかかる。

 

 ということでそれは明日に投稿して、今日はそんな途中経過の嘆きを投稿することにしました(笑)

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