気分やさんの気ままなブログ

【AIにとって人間という存在は?】

【連続投稿101日目 1439投稿目】

【作成日時:12/28 15:21~16:02、41分】

 

 一昨日、昨日と森田さんのトークライブを振り返ってきました。

今日もトークライブを聞いて考えたことの残りの分を振り返ろうと思います。

【6年ぶりに森田真生さんのトークライブに参加しました】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ

【感覚がホメオスタシスを受けるからこそ】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ

 

・過ぎ去ったものを保持できる←『贈与』

・predictive processing(予測的処理)→予測によって動きが確定する

・「生きている」ことに対しての評価←AIは低く評価する

(AIにとって「良いこと」とは「賢い」こと、人が賢い=人がAIになろうとしていている(AIに従順になる)

↔人が生きること(感じる、情、))

・予測と実際の感じの差(=サプライズ)を最小化する

↔予測しなかったことに対しての楽しさ

の2つのバランスを取る

・自由意志によって取った行動から来る内省(あぁすればよかった)を、過去に向けると悔やみになる、未来に向けると拓かれていく

 

 どのような話から過ぎ去ったものの保持という話がでてきたのか忘れてしまいましたが、この話を聞いた時に『世界は贈与でできている』とつながる話だということを思いました。

この話はまたいずれ書くのではないかと思っていますが、「贈与」を語るにあたって時間の幅があるということが重要になっています。

そして内省は過去の出来事に振り返ることにあたりますが、内省の目的や通して見ている先が過去であるか未来であるかで内省の質は大きく変わることでしょう。

 

 それから今回のトークライブでは『計算する生命』にも書かれているAIに目を向けた話もありました。

将棋は最たる例にあたりますが、AIはものごとに対して評価という予測的処理を行います。

つまりAIは評価で「良いこと」「悪いこと」を定めているわけです。

ではその良い・悪いの評価はどのようなものかと考えた時に、森田さんは「賢い」という言葉を使いました。

AIにとって「賢い」とは「ぶれないこと」であるのです。

AIは再現性、つまり同じ条件のことに対しての評価は一意となるはずです。

恣意的であることはAIには問題なのです。

ではどのようなことが恣意的なのか?

それが「人が生きること」にあたるのです。

人が持つ特性である感情による行動は予測できない生産性をもっているのです。

人からすればそこに可能性やかけがえない、お金に変えられない価値であり貴重なものとされていて生み出したいものです。

人は予測しなかったことが起こると楽しさを得ます。

ですがAIからすればそれは評価できないこと、評価にぶれが生じること、「悪いこと」なのです。

ですからAIにとってはそのような人は厄介な存在であるわけです。

むしろそのようなぶれが生じないような人こそが評価できる「いいこと」なのです。

よって賢い人をAIは評価するのです。

さて「賢い」ことはいいことでしょうか?

一方で、ではもしAIがこのぶれを評価できるようになったらどうなるでしょう?

つまりそれはAI自身が学習して自ら概念を獲得したことになります。

僕もよく知りませんでしたが、これが「シンギュラリティ」となるそうです。

 

 さて、これでトークライブに対しての振り返りは終えることになるのですが、番外編でこの日に森田さんの本を買った話も書こうと思います(^^)

 

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