【連続投稿100日目 1438投稿目】
【作成日時:12/28 0:02~0:36、34分】
昨日、3週間越しに森田さんのトークライブを振り返ってみたところもう少し深められそうに思えてきました。
関係する部分は改めて引用しようとは思っていますが、昨日の投稿を見てくださった方がより理解できるのではないかと思います。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
今回は、
・自分から環境に負荷をかける、自分を取り巻く環境を「使う」
・感覚は不明確な世界
・homeostasis(ホメオスタシス、恒常性)・・・周囲の環境に溶け込もうとする性質がある
・「感じる」と「動く」の振動(=繰り返し)
について深めます。
今回のトークライブでこの「ホメオスタシス」という言葉を初めて知りました。
このホメオスタシスというものを何かしらの具体例を紹介していたはずなのですが、残念ながら忘れてしまいました。
ですが例えば「長い物には巻かれろ」というようなこと、マジョリティーに所属していようと無意識的に動くのはその環境に合わせて溶け込もうとする性質が働いているからといえるわけです。
人に限らず、水は水であろうとしているから水であり続けるわけです。
というような性質が環境には備わっているのです。
ここで「感覚」というものについて考えてみたいと思います。
人に備わっている感覚というものはありがたいものである一方で、感覚というのは事実でなく主観でありフィーリングです。
つまりはっきりとしたものでない、不明確なものなのです。
それもホメオスタシスによるものであるというのです。
ホメオスタシスによって溶け込んでしまう結果、実在しない不明確なものになるのです。
ではホメオスタシスによって確固たるものとして取り出せない感覚をどうすれば分かることができるか、それが動かすということです。
「動かす」というのは自分の外側にある環境に働きかけることです。
それは環境からしたらホメオスタシスに抵抗するもの、「負荷」でしょう。
自分を取り巻く環境を利用するのです。
すると行動によって事実が生まれるので、結果として観察できることができるのです。
感覚だけでは雲をつかむ話となってしまい分からないものでしかない、だから環境に映し出すことで観察可能なものにすることで感覚が分かるものになるのです。
・・・うろおぼえな部分もあるので誤った解釈をしている部分もあるかもしれません。
が、自分の外にある環境を使うという考え方にはまだ僕自身見出せていない可能性が潜んでいることだと思いました。
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