最近の社会を生きる中で兼ね備えておくといいこととしてヴィトゲンシュタインの論理学・哲学だなと感じることがあります。
ニュースでコロナに関する情報がたくさん流れてきます。だいたいが事実の報道というより「ヤバい」というバイアスが乗りつつ増幅させているなと感じます。
しかし言語の認識する中での非一意性、多義性を念頭におくことで1つの情報に対して多角的に見ることができるでしょう。
そうすることで見えてくることもあると実感しています。
またこれは別の話ですが、最近『歎異抄』について書かれた本にふれたことがありました。
その話は別で書くとしますが、その本を読み進める中でどこか腑に落ちないというか理解するに違和感を感じる部分がありました。
その内容を解釈する過程で頭にヴィトゲンシュタインがよぎったのでした。
通っている寺子屋塾でその話をしたところ、なんとつながっている部分があるという話を知ったのでした。
ヴィトゲンシュタインを知ったのは大学の時の選択授業でという妙な縁でなわけで、その時に理解できたかというとさわりだけでありながらもつかみきった感覚はありませんでした。
今はできているかというとそういうわけではないですし。
ですが、今の自分になら学ぶのにいい入り方があるのかもしれません。