気分やさんの気ままなブログ

【教育現場で「身体を休める」ってどういうこと?】

 昨日、最近お手伝いし始めた塾の運営をしている人と終わった後にご飯に行って語り合いました。

 その時に、今月自分がここ意外にも新しく始まることがあってキャパオーバーになるかもしれないんですよね~、って話をしました。
それに対して言われたことが「この塾で働くことを抱え込まず、身体を休める場所にしてくれればいいよ、力を抜いて」といったようなことを言われました。

 この言葉が僕には受け入れがたいんですよね。
というのは教育、それも子どもたちに対してである以上どのような形での携わり方であれ責任を持つものだと思います。
それは今回に限らず今まで携わった教育の場では常に自分の中に持ち続けていたことです。
だから教育現場で身体が休まるってことはないかな、っていうのが僕の考えです。

 ただし、「力を抜いて」というのは今の状態の自分には必要だなと感じました。
昨日の投稿のとおり、終わって家に帰ってから寝てしまったというのは自分に無駄な力がかかってしまっているからでしょう。
おそらく理想は、野球のピッチングでいうところの投げるまでは脱力して、投げる瞬間のリリースの時だけに力を入れる、みたいなメリハリつけて要所で力を入れることでしょう。
それに「何か学ぼう」意識の力みは学びへのアンテナが鈍ってしまうでしょうし。

 でも、ひょんなことから目をつけられて引き抜かれて、少しばかりの時間の付き合いだけでそのように運営者が思っているということは相手に何かしらのビジョンが見えているからでもあるのでしょう。
そう思うとこの部分のすり合わせにはコミュニケーションが必要なのでしょう。