何かをやり始める時、どうしてそれをやりたいか求められることがあります。
その最たる例が入社(・入学・入団)面接というものです。
なんですが、僕としては別に入りたい理由なんてなんでもよくて、入り口は広くでいいのではと思ってしまいます。
そう思うのは、やり出してから困難や課題にぶつかった時に結局、考えを改めて深めることになり、その時が真に大切だからです。
そのようにも思ってか、面接というものが苦手であり、嫌いです。面接が対等な話し合い(=対話)には成り得ないというのもあります。
それに加えて志望理由を求められて相手に気に入られるような言動、「正解」を言わなければとなってきてしまいます。
「強制」されるわけですね。
もちろん、最初に面接が必要だったり、最初からしっかり意志をもってもらうことももちろんいいことですよ。
人数が多くてふるいにかける場合は必要ですし、余裕がなくて確実に戦力となる人を見極めるためには必要でしょう。
それに当人にとっても、入る時から深く考えていればそれは貯金になり、深く考えているほど壁に当たるまでがより長く持続できるでしょう。
ただ、入る時にしっかりしていながら肝心の途中でガス欠を起こすのであれば最初にはそこまで求める必要があるのだろうかと思います。
そういう点では試用期間のようなものはいいやり口だなと思います。