いつもツイッターは基本的に1日に2回、タイムラインをまとめてさかのぼっています。
昨日はさかのぼる時間が長かったのです。その要因がコロナウイルスに関するツイートを見ていたことでした。
リツイートなどで流れてきたものは目が止まるものが多かったです。これまでに比べて見方・意見の鋭さが際立っていたのです。
1つ1つのツイートに、そういう見方ができるのか、これには共感するし僕が思っていた以上の意見だな、その意見は危ういぞ、などと思ったわけです。
中にはそのツイートに対してどういうリプがされているか見てみようと思ったら見れなくて、それはツイートした人が非公開に変えていた、というものもありました。
コロナウイルスのことで悩まされるわけは、多くの人は仕事・家庭でしょうが、どちらもその裏にあるのは「お金」のはずです。
(オリンピックとかそういうものに携わっている人は別ですが、それは一部でしょう)
しかし、ツイッターを見て感じたのは、頭を抱えている方向が「情報」に向いているのです。
無理もありません。その人に合っているものも的外れなものも鋭くなっているのですから。
このままもっと鋭さが増せば、ある意味アニメ「PSYCHO-PASS」のネタとして成りえるほどの事態だと思っています。
場合によっては言論の自由に規制がかかることもゼロではないのではとも思ってしまいます。
だからといって、むやみやたらに主張をするなというのは、昨今でいえば国に損害金を求めるのと同じようなものでしょう。
じゃあ一人一人にできることは何か考えてみましたが、それはこういうことだと思います。
防災に使われる言葉で「自助・共助・公助」という言葉があります。順番に、自分で守ること、共同して助け合うこと、公的機関から助けてもらうことです。
そして、防災において大切な順番は、自助→共助→公助です。
この考え方が今の状況にも言えるのではないでしょうか?
まずは自分で考えて判断する。それで困ることがあれば情報をむやみに集めるのではなく信頼を置ける人に相談する。
国が講ずる手立てを待つという後手に回ることにならないようにする、これを軸としてもつだけでもだいぶ変わるのではないでしょうか。
一応読んだみなさんに支障のないことを書いたつもりですが、もちろんこれが自衛を妨げるものであれば切り捨てても構いません。