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【具体と抽象(前半)】

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 最近『具体と抽象』という本を読みました。少し前から寺子屋塾でこの本が話題によくなっていたのであることは知っていました。そして第6回教師塾に参加した時に体験から経験への昇華という学びが起きることを考えた時にこの本のことを思い出したのでした。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

 

学ぶことは抽象化すること

 体験から経験ということと『具体と抽象』がどのように結びついたかというと、まさに書いてあったことで「抽象度が上がれば上がるほど、本質的な課題に迫っていくので、そう簡単には変化しない」という部分です。体験というのは1つの具体なのに対して経験として今後に活かすようにするということは抽象化させたというわけです。そして積み重ねた数々の体験を1つに抽象化させたものほどその考えはぶれがたいものとなるわけです。ですがそれでも絶対的なものではなく、時にそれまでの考え方では通用しないことだってあるのです。その時に、いくら体験を積み重ねたものだったとしても、今までの考えを改めるかということも大切というわけです。そしてより深く学ぶほど難しくなったり分からなくなったりで考えが迷子になるのはより抽象化させているからというわけです。

 

具体と抽象の関係①

 さて、この本の中でもたとえの1つとして数学のことが用いられていました。そのようなこともあって考えたことなのですが、少し考えてもらいたいことがあります。数学の中には、例えば三平方の定理だったり二次方程式の解の公式だったり、速さ=距離÷時間、などなど様々な数式・公式・法則があるわけです。このように数式として表現することを具体的なことだと思いますか?抽象的なことだと思いますか?後にも説明しますがどちらが正しいというものではないです。ただ、僕の憶測では抽象派が多いのではないかと思います。では僕はどうかというと、具体的なことだと感じることの方が多いです。座右の銘として「万物は数である」ということを常々思っている自分からすると、数式というのは世の中に無数にある法則、どころか法則にもなしがたい無数の現象の一部を取り出して数式という形にしたものと見ているからです。世の中という絶大なものを尺度に考えているのです。

 ですが、「多い」としたように常にこのようにしか思わないわけではありません。1つの出来事を取り出して、それから他にも同じような場合を考えて数式に表現できないかを考えることだってあります。これは具体的なことを基に数式として抽象化させたというわけです。このように同じ物事でも、世の中全般から見るか1つの事象から見るか、というように捉える基準によって変化するのが具体と抽象の原理なのです。

 

 

 もう少し書きたいと思いますが、それはまた明日。