気分やさんの気ままなブログ

【「らくプリ」その36-高校数学の難しい理由】

 昨日に引き続き、らくだプリントを通して思ったことですが、高校になると数学が難しくなる理由の1つには数のイメージを持ちにくいということがあると思います。中学での数学で挙げると平方根です。√2は「ひとよひとよにひとみごろ」で1.41421356と覚えさせられたのではないでしょうか?この平方根というものは小数点以下無限に続くため誰にも言い切ることができない数字、でも実際に存在はする(なぜなら1辺1cmの正方形の対角線(=√2)は引くことができますよね)不思議な数です。ただ、ルートの中が大きい数であっても、整数を2乗することでだいだいの数の大きさを見積もれるのが救いです。

 

 では高校ではどうか?代表的なのを3つ紹介しましょう。1つ目は重根です。例えば√の左肩に3とついていると3重根と呼ばれるもので、∛2という数は「3乗したら2になる数」ということです。このようなものでも先ほどの中学校の平方根とほぼ同様に見積もることはできはしますが、3乗する必要があり、考える前にどんよりした気持ちになります。しかも、重根にはもう1つ別の、2重根号というルートの中にルートがあるのです。これに至ってはたとえ出てきても僕でも見積もろうという気持ちは生まれません(笑)

 

 次は対数logというものです。これも小さい数字が用いられているものであればなんとなくメドをなんとなく立てることもありますが、大きい数字は勘弁です。しかし、このlogというものは天文学などで莫大な数字を扱う時に使われるようなものです。そこで、対数の問題でよくある問題なのですが、対数が何桁の数字かということはけっこうラクに探れるのです。ですから対数に対して何桁かということを扱っているものという捉え方ができるとけっこう気分が晴れます。

 

 最後に高校数学の強敵の1つ、三角関数です。sin・cos・tanです。しかもプリントでは今は教科書になきcosec・sec・cotなるものまでありました。後の3つは最初の3つを基にしたもの(逆数)なので最初の3つが「なんとかなれば」なんとかなる。3つの中でまだマシなのはきっとtanだろう。これは言い換えれば傾きなのだ。中学の直線のグラフの話に落とし込める。つまり整数 / 整数で話ができることもあるからなんとか整数の世界にいると思える。問題は残りの2つ。共に「-1から1の間の数」なのです。±1、±1/2、±0、ならまだイメージをもてるが、±√3/2、±√2/2、さらにはsin75°は(√6+√2)/2、これ以外の変な角度は僕でさえも知りません。そして見積もるにも「-1から1の間の数」なので、整数レベルで見積もっても仕方ないのです。

 

 と、3種類紹介しましたが、別に数がだいたいいくつかなんてメドが立てられなくても答えを求める分には支障はないのではと思うかもしれません。では日常生活を想像してください。あなたが初めて経験すること、初めての場所に行くだとか初めてのものを食べるとか、初めて就職した時のことを考えてみてください。きっとどの場合も不安があり、不安をなくすために調べたり人に聞いたりして前情報を得るのではないでしょうか?数学では解いている最中調べるとはそうそういかないのです、ので不安に襲われるのです。そして不安が募ると昨日の内容のように集中力が散漫し凡ミスをしてしまうのです。

【「らくプリ」その35-「ミス3つ以内」というルール】

 昨日のブログで紹介したように進む基準の1つに、どのプリントでもミスは3つ以内、というものがあります。これは、1枚に100問近い問題数が出されることもある小学校のプリントでも今やっている1枚に1桁しか問題がない高校のプリントでも共通していることです。

 

 一見それって不平等だし理不尽なのでは?と思う人もいるかもしれません。しかし、高校教材に入ってから特に、不思議なことにこの設定は理に適っているなと思うようになりました。高校教材ですと問題数が少ない分、必要な計算の量、複雑さ、それから考えることの量、例えばこの問題を解くのにはどういう流れでやればいいか、なるべく簡単に計算するためにはどのようにすればいいか、この解は問題におかしくないか、この問題はどのようなことが問われているのか試しに図・グラフを書いてみる、などです。このように負担が多彩になってくると1つのことに集中することが薄れてきがちなのです。そういう時に約分ミスみたいな平凡な計算ミスをしてしまうのです。

 

 つまり1つのミスにはそれまでの流れの歪みの積み重ねの上に生じていると言えるです。このように思えた時、小学校レベルの何十問あったプリントでもミスが生じる時は全く同じで、それまでの問題を解いてきた中で歪みが大きくなってきていたのです。まるで地震のようですね。

 

 そのような考え方をしていることもあり、進む基準としてはミス3つ以内と設けられていますが、最近自分の中ではミス2つが判断のラインとなっています。3つミスした時は最近では進むことはまずないですね。2つでもさすがにこれはもう1度やり直すほどではないという時もありますが、2つのミスがそれぞれ同じ計算の部分でミスをしたという時にはもう1度やり直すということにしています。

 

 自分が進む基準で2つミス以内にしていることもですが、中にはプリントに取り組もうとしても体が動かないという他の人の話を聞くこともありますが、共通して言えるのは、与えられているままだと苦しくなるから、与えられたものを自分のもの・自分ごとにすることで解消されることがあるかもしれません。

【「らくプリ」その35、の前に】

 ブログを再開して12月中にいくつか振り返りましたが、まだ振り返り忘れていたものがありました。それは今通っている寺子屋塾というところでやっている「らくだプリント」についてです。実はこのブログを書き始めたのもらくだプリントをやり始めたのも同じタイミングで2年前の9月なので、ブログもプリントも1周年を迎えた、そんなことも投稿することを考えていたのですが、残念なことにブログの更新は8月半ばで止まってしまった、なんて心残りもあります。

 

 久しぶりなのでどのようなものか簡単に紹介します。らくだプリントは数字を書くことから小学校の計算、さらに中学高校の内容を扱っている算数数学のプリントで、基本的に毎日やります。そして、各プリントには「原則」目安時間が設けられていて、目安時間内にミスが3つ以内であれであることが次に進むための判断基準となっています。

 

 それで、空いていた時のことを振り返っていこうと思うのですが、どのようにして振り返って投稿していこうか悩んだのでした。ある程度単元ごとに振り返ることもできはしますがあんまりおもしろくないな、と。らくだプリントをやっているのは、数学を学び直すことも一応目的になっていますが、それ以上にやったことで見いだせたこと、例えば日常とどのような共通点があるかだとかやった時の感覚レベルのこと、つまづいたことにしても原因として数学の問題に対してだけでなくそれ以上の「何か」、そしてそれをどのようにして乗り越えたか、このようなことを考えることが僕のらくだプリントをやる目的であり振り返っていきたいことなのです。

 

 ですが、振り返る要素を考えていても時間がかかる、というより出てくる気配がないので、久しぶりなこともあって第0回的なイントロダクション程度に振り返ってみようと思ったところで今日の投稿を書き始めています。

 

 ブログを振り返ったところ、ブログを更新しなくなった時点では高校の分数式をやっていたのですが、今は単元にして11進んで三角関数を利用して面積を求める問題を解いています。先ほど目安時間が「原則」設けられていると紹介しましたが、高校教材まで進むとほとんどのプリントで設けられていません。それから、前までは大方2回やって進んでいましたが、最近は3回やることの方が多くなり、1回目でできなかったことや勘違いしていたことがあると見に覚えさせるように必ず3回やるようにしています。あと公式の証明があると、プリントでは途中まで書かれたり穴埋めすればいいだけでも、自分でまっさらな状態から証明するようにしています。この理由は追々投稿しよう。それから、やった後にやってみてできなかった問題とやった感想・気づいたことをノートに書いているのですが、そのノートがもう3冊目に突入しています。

 

 そういった感じで外面でも変化があるので、明日からは内面の変化を何日間か【「らくプリ」】シリーズを投稿していこうと思います。

【2019年、あけましておめでとうございます】

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 あけましておめでとうございます。元旦の日は人それぞれいろんな過ごし方があるかと思いますがどのような1日になったでしょうか?

 

 僕は昨日から高校の同級生で集まって新年を迎え、その家の近くのお寺に初詣に行き、そして泊まりで夜遅くまで遊びまくりの1日でした、1日目から不健康です(笑)

 

 実のところ初詣に行ったのは大学3年の時以来で、自分からはまず行かないほどなので、珍しく初詣に行った年になりました。それゆえにおみくじも久しぶりに引きました。そうしたら、下の写真のように小吉と微妙な結果だったのですが、不思議なことに内容は去年の状況からの実際の自分の流れに合っていたのでした。そのようなこともあり、一層このおみくじ通りの1年になるといいなと思いました。

 

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 現時点では具体的な願い事とか目標とかは見いだせていないのですが、とりあえずは振り返りで書いたようなインタビューゲームとスポーツをやる習慣が続いていけばいいなと思っています。

 

 さあ今年はどのような1年になるのやら。

【2018年の気ままな振り返り(番外編)】

 iPhoneを使っているのですが、Appleがバッテリー交換サービスを年内までやっていて、今年に買い替えたばっかりだったので無料でバッテリーを交換しました。

 

 しかし、配送サービスで楽に済ませられると思ったのがしくじりに…。今月7日に渡したのですが、返ってきたのはつい4日前の27日でした。ホームページには10日程度とあったのですが、他の人も考えていることがきっと同じで注文が殺到したのでしょう。

 

 で、それだけスマホが手元になかったため、いかに依存していたのか思い知らされたのでした。例えば、毎日ツイッターを見たり野球ニュースを見たりしていますがそれもできず。幸いトラブルは全くなかったですが、時間ができた時に普段ならスマホを開くのに手元になくて別のことをせざるをえないことが頻繁に起こり、変な感じがしたと共に反省しなければとも思いました。しかしながら結局パソコンで代用もしたり…。

 

 ただ、手元に連絡手段がないことだけは不安でした。いつもなら当たり前にしている待ち合わせに不安を抱きました。アプリは手放しても生きていけると思いましたが連絡を取るツールとしては欠かせないと改めて思った3週間弱でした。

【2018年の気ままな振り返り⑤】

 それから今年になってのことでいうと、以前にもブログで投稿したものですが、通勤の際に毎日使う駅で、本が自由に借りていくことができたので、本屋では取らないような本でも読んだことです。

 

 読むペースが遅いのでたくさん読んだというわけではありませんが、それでも、ビジネス書や、風立ちぬのもとの本、それから最も側近では『ロミオとジュリエット』を読みました。何となくのストーリーは知っているもののちゃんと読んでみたことはなかったということで読んでみました。読んでみると思いもしなかったほど激情的で、小説はあまり好きでなかったのですが今回は読み入ることができたので、演劇の本なんかが自分には合っているのかもしれないと思えました。

 

 また来年もいろんな本に出会えたらいいなと思っています。

【2018年の気ままな振り返り④】

 今年考えるようになったことであり振り返りの1つとして書いているのでタイトルは上のようにしたのですが、サブタイトルをつけるとすれば「好きなことって何ですか?」です。

 

 唐突な出だしになりますが、僕は数学が好きです。ずっと何年も好きなものです。ですが、本当に数学が好きなのだろうかと思ったことがあったのでした。このブログを書く前にやっていた二コリのパズルゲームは好きだし、方程式を解くことも好き。数学に関することで何かしら考えている時に「こんなこと言えるんじゃない?」と思って成り立ちそうな式を仮説立てて自分で文字を使って証明することも好き。でも受験数学みたいなパターンで解くような問題は好きではない(正確にはワクワクしない)し、大学での数学に挫折もした。つまり数学がおおむね好きなんだけど、完全に好きということではないわけです。

 

 それから考えてみようと思ったことが、自分は数学の”何”が好きなのかという「好きの本質」といえるものについてです。

 

 つまり好きな”もの”というのは極めて表面上のものでしかなく、実は必ずしもそれが好きではないかもしれないのです。一方、好きな”こと”が何かを深く探ってみることが必要だなと思うようになったのでした。そうしていくとおそらく他のものでの好きなことともつながってくるのではないかと思っています。

 

とは言っても、まだ考えるようになり始めたばかりで何も見つけ出せていないのが現状です。ですので、これまでは「数学は感性である」と表現していたのですが、来年はもっと別な言葉で表現できるようにアップデートされるような気がしていますし、できるように考えていきたいなと思っています。

【2018年の気ままな振り返り③】

 昨日はインタビューゲームを行ったことでの自分の状態が回復していった経緯を書きました。ですが、復調したのにはもう1つ大きな要素がありました。それが「スポーツ」です。

 

 以前からずっと自分にこれといった趣味がなかったことを気にしていました。それでどん底に陥って教育を考えるには敷居が高くて行動が起こせなかった時に、教育からかけ離れたこと、体を動かすことから動き出してみようと思ったのでした。それでフットサルをやってみようと思ったのですが、はじめは10月にはやろうと思っていたのですが9月末に足をケガしてしまい、結局12月からと遅れてしまったのですがやり始めました。ですがやり始めたことを他の人に話してみたらその人からフットサルに誘われたり高校の同級生からボルダリングに誘われたりと、週に1回、何かしらのスポーツをやることが続いています。(おかげで筋肉痛になっては回復して、また筋肉痛の繰り返しですが…)

 

 そんなこんなで、インタビューゲームにしてもですが、何か始めてみると思っている以上に流れが回るのだと感じたここ1か月です。

【2018年の気ままな振り返り②】

 昨日の1年の振り返りの続きです。8月からのどん底状態が9月末のけが後いかようになったのか?

 

 良くなったか悪くなったかを先に言うと、幸い(昨日の投稿の文末にまだ良くないことがあるのではと匂わせたくせに、という意味ではみなさんの期待に沿えないということから残念ながら(?))いい方向に向かっていきました。

 

 その最初のきっかけであり一番大きかったことが「インタビューゲーム」でした。(インタビューゲームがいかなるものかはこちら) どん底に落ちる前の僕が誘っていた人から逆に(相手の人は今の僕の状態を知っているわけでもなく)誘われたのでした。ただ、やるかどうか迷いがありました。ですが自分がまいた種だったので乗り気になれないながらもやりました。

 

 案の定、気持ちが沈んだ状態でのインタビューゲームになってしまいいいようには勧められませんでした。ですがこのような状態だからこそ気づいたこともあったのでした。それは、インタビューゲームとしての出来の良し悪しに関係せず、「今」のありのままの自分が表れ写し出されるということです。インタビューゲームは簡単に言えば、お互いに相手をインタビューした後にその人がインタビューの内容をまとめる「他己紹介」ということからも当たり前なことと思われてしまうかもしれません。以前の自分に言ったとしても響かないと思います。ですが、気持ちを隠すことなく話してしまい、だからこそその様子がまとめられて文章として写し出されるのです。このことが今の自分を受け入れることにつながったのでした。

 

 そしてこれを機に引きこもっていた自分が少しずつ動き出して、動いた先でさらに機会が生まれていい流れが生み出されていったのでした。やはり動いてみるといい方向に向かっていくのだ改めて実感できました。

 

 

 インタビューゲームは機会に恵まれていることもあり今、10月からずっと月2回のペースで行えています。明後日にも予定入ったし!各インタビューゲームの様子はまた年が明けてから順に投稿しようと思います。

【2018年の気ままな振り返り①】

 こんにちは、とてもお久しぶりな投稿です。(Facebooktwitter自体の投稿も止まっているので、会っていなかった人から「生きていますか?」なんて思われていかねないなとも思っていたり。) ずっと更新が止まっていましたが、年末ということで、特に投稿が止まっていた頃のことを中心に1年を振り返ろうかなと思った次第です。

 

 今年1年がどんな年だったか、一言で言い表すと「24年間の中で最もつらい」1年でした。まさにぷつんとブログの更新が止まったのが8月の半ばだったのですが、この頃から自分の状態がどん底に落ち込んでしまいました。(根端を探ればもっと前から兆候はあったんかなと今では思います。) どれほどどん底だったかというと、

 

・「学ぶこと」がどのようなものだったかが自分で分からなくなった。

・教育に対する情熱が湧いてこなくなり、情熱を持っていた頃の自分を思い出そうにも分からない。

・外に足を運んで学びを得に行くことができなくなった。

 

特に3つ目については、それまでの経験からは「絶不調な時ほど外に出て学ぶ」ことが絶対的な打開手段だったのですが、外に出るんだと言い聞かせる自分がいながらも行動に移すことができないほどに陥り、本当にどうすれば切り開けるか分からない長い暗闇が続いたのでした。

 

 もう少しだけこの話を引きずりますね。9月末にとある展示物を見に新潟まで行きました。そこに着いた時にとっさの直感で駅から目的地までの移動にレンタサイクルを選びました。しかし目的地までは山道で、帰路は下り坂でした。それゆえに段差があったところで派手に転んでケガをしてしまったのでした。これまで割と当たっていた直感が外れた上にケガをして引きこもり生活に拍車をかける結果となったのでした。

 

今年が本厄だったのですが、所詮思い込みでしょと上半期は自分に言い聞かせていたのですが、やっぱり本厄だったんかなあ。

 

 

 そんな僕の状態はこの後どうなるのでしょうか。よくなるのか?それともさらに待ち受ける何かがあるのか・・・