気分やさんの気ままなブログ

【「らくプリ」その33-自分を追い込んでみて】

 今日は夜に職場の飲み会があったので、毎日のらくだプリントを持っていき、仕事をあがってからの時間に喫茶店でやりました。

 

 そして、1枚を振り返りまでやり終えてから、普段のように2枚目をやるかどうかで飲み会までの時間が際どくなりました。これまでも、このように次が迫ってきている時に、あえて時間までにやりきるゾ、と自分を追い込んで(命名「らくだチャレンジ」)やってきました。

 

 それで、今回もやったのですが、結果は半分に行かないところで途中でやめました。理由としては、時間になってしまったというのもありますが、それ以上に集中力が完全にロストしたのでした。まず、その喫茶店の環境です。選んだ席がとても悪く、暗い上に照明との位置関係で手元に影ができてしまっていました。さらに隣の席の女性の声が意識から離れずここで集中力がぷっつり。

 

 追い込めばいかなる環境でも集中できるのではないかと思っていましたが、むしろ露骨に影響を受けてしまったのでした。

【日にち感覚~】

 毎週、学校で放課後に授業とは別の講座を受け持っています。内容はすでに決まっていた、のですが、ふと考えてみると来週はもう終業式であり今週が1学期の講座の最後だということに気づいたのでした。そしてその内容は次回の時にプリントを返却したいと思っていたので、よろしくないことに気づいたのでした。幸い、別の内容にすぐに変更してついさっき作りましたが。

 

 うーん、日にち感覚が薄れている今日この頃です・・・。

【流れと他者と感謝のインタビューゲーム】

 2週間前のことになりますが、インタビューゲーム会に参加してきました。その中で今回特に思ったことを3つ書こうと思います。

 

インタビューゲームの流れ・ルールはコチラ

 

「流れ」で行動が決まる・変わる

 今回、始まりから終わりまで通して思ったことで、いろいろな流れを受けていたなと思いました。振り返りの時に自分が流れから影響を受けていたと思ったことを4つ書きました。1つ目は、最初にした参加者同士の自己紹介で、自己紹介した参加者が次の人を当てていく形でしたが、最初の人が対角線で当てたことからずっと対角線で当て続けていったこと。2つ目は自分がインタビューされている時にやたらと「安心感」という言葉を使ったのですが、それは最初のルールについての交流の時に「安心」がキーワードになっていたからではないかということ。3つ目、相手の方がインタビューしてきた時に「話したいことありますか?」と使ってきたことに「そうきたか!」と思ったのですが、その後に自分がインタビューする側になった時に質問が途切れてしまったので「話したいことありますか?」を使い返してみた。4つ目は別の組の人が書いた紹介文を聞いていた時に「自信」という言葉が出てきた時に、そういえば自分が書いた紹介文に「自信」を結局入れなかったなと思い出したこと。

 日常でも無意識に流れから影響受けているんだろうなあ~。メタ的に見たらいっぱい気づくことがありそう。

 

話をやたらつなげたがっている←書く時にまとめることを意識して

 インタビューしていく中で相手の方の時間軸が異なったいろんな話が出てきます。そして時間軸が異なっているということもあってそれぞれのエピソードが独立していることがしばしばあるのです。そういった時に、時間軸は違えどその人から出た話ということで何か共通点(なぜそれらのことをしたか、それによって得られたことで同じようなものはないかなど)を見出そうとするのです。それというのは相手の方が持っている「核」(信念・価値観)かもしれない、という見方からすれば正当なことなのでしょう。が、自分の場合はそれ以上のことを考えてしまっていて、それが他己紹介文を書く時にまとまったつながりのある文を書こうとしてしまっているのです。それはインタビューをする上では余計な思考なのではないかと僕の中で思いました。線引きをするとかいうものではないでしょうが、欲張ってはいけないのでしょう。そういう時はだいたいいい状態じゃない。

 

「聞いてくれてありがとう」と「話してくれてありがとう」

 インタビューゲームをやると僕が毎回思うのが「聞いてくれてありがとう」です。つまり普段から実は「聞いてもらいたい」と思っているのですね(笑) 「話したがり」ではありません。なぜなら、話したがりなら日頃から話しているはずだからです。ちゃんと僕の思っていることを聞いてもらいたいと「聞いてもらいたがり」なのです。インタビューゲームで話すようなことを普段は話さないのです。それは話したとしても相手の様子からして、聞く気がそんなにないな、と感じ取ってしまうのです。すると、じゃあ話しても無駄だし距離感も生まれかねないからやめよ、と思うのです。だからインタビューゲームではコアな話を「聞いてくれてありがとう」と思うのです。

 それを振り返りで僕が言った後に、他の人が僕のに対して「話してくれてありがとう」と思った、ということを挙げたのでした。それを聞いて、この両者の「ありがとう」が生まれるような話し合いって素敵なことだなと思ったのでした。そのためには相手の人を尊敬する気持ちが必要!

 

 ちなみに、今回のインタビューゲーム、自分にとって何回目かなと覚えられていなかったのですが数え返してみて10回目でした。2ケタに突入してちょうど数えられなくなったという(笑)

 

 ちなみに今週にはプライベートでインタビューゲームをやる予定です。もし興味ある人がいたらぜひ!!


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【エアコン・・・】

 前に暑くなったからエアコンを使い始めたという投稿をしました。しかしながら、自分の体とエアコンの相性が悪いようで、今年も体調が悪くなってしまいました。エアコンによって快適になるはずがならないから二重に精神的にも身体的にもダメージを受ける。

 

 エアコンのせいで空気がとも思いましたが、よく見るとまた自分の部屋が散らかってきたな。整理して環境を整えねば。

【詰将棋と数学】

 ころころハマっているものが変わるのですが、最近は詰将棋にハマっています。

 

大きなきっかけは児童館で将棋を指した時にその子に詰将棋を教えた方がいいなと思ったことからでした。それで自分もいざやってみると思った以上にてこずったのでした。それだけでなく、数学を教えているとどうも最近は瞬時に解く流れが見えないこともありました。そういったことから瞬時に解きあがりまで見切るようになるために詰将棋をやっています。それにしても数学を教えていると、使う情報だとかどういう状況なのか大局観が必要とかつくづく詰将棋だなとよく思う。

 

 それにしても今は5手詰めでさえも本当に苦戦している、絶対に棋力自体も衰えている…。

【今だから分かる耳コピ音楽の魅力】

 大学の後輩に久しぶりに会った時に、その子が作っているものについての話になりました。それは実際にある曲から音を聴きとって音楽編集ソフトに音を打ち込んで音楽を編曲するという、いわゆる「耳コピ音楽」です。

 

 昔は正直なところこういったものには興味が向きませんでした。そんな頃は、音程を聞き取っていることはすごいけど、原曲のまがい物だと無機質に感じてしまっていたのでした。

 

 ですが、今では見方が変わっています。というのは今ではピアノをはじめ楽器それぞれが特有の雰囲気を持っていることに気づいたということが大きいです。それから音楽に対する見方が変わったのです。そしてこのような耳コピ音楽に対する見方も今では変わっています。昔は原曲のまがい物だと思ってしまっていましたが、今では耳コピした音楽はその人のオリジナルの音楽だと思えているのです。原曲はいろいろな種類の楽器の音が入り交ざって構成されています。ですからコピーするにあたってその音全てをそのまま取り出すことはできないでしょう。だからこそ耳コピ音楽を作る人の主観が必ず入るのです。その人が原曲から聴き取った音、この音・強弱・雰囲気を入れよう・大切にしよう、逆にこの音はなくしてみよう、という主観が入るのです。よって作る人によって編集のされ方は異なり、編曲者の心が入るのです。それはコピーを超えたオリジナルとも言えるのではないかと思うのです。

 

 最後に、その大学の後輩が作ったものを紹介しておきます。LiSAとかサイサイとかこれがまた僕にピンポイントなんだよねー(笑)

 

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【余裕があるからこそのコミュニケーション】

 この記事を書いている現在、サッカーワールドカップスウェーデン・スイス戦が行われています。

 

 チラッとたまたま見た場面なのですが、スイスがカウンターで攻め込んでいって右サイドから中にボールを入れてヘディングシュートをした場面がありました。そのシュートはゴールの上へと外れてしまったのですが、その後その選手たちが外しながらも(`・ω・´)bサインを送り合っていたのでした。コミュニケーションを取るだけの心の余裕があったというわけです。

 

 最近、余裕をもつことが大切だとよく思いますが、国を背負った戦いでもそれぐらいの余裕がある方がなにかといいのではないかと思ったのでした。

【解の公式と日常】

 昨日の投稿から考えてみたことがあるので加えてみようと思います。

 

 2次方程式には解の公式があります。そして実は何次の方程式にまで公式があるかというと4次方程式までです。5次以上はないことが既に証明されています。つまりは4次方程式ということは定数項と1次から4次の項の計5つの変数以下、さらにはxの1つしか使われない式でしか求められないのです。

 

 ということは、日常でも解の公式と同様に当てはめれば分かるようなことというのは本当に稀にあるかというようなことなのではないでしょうか。なぜなら人数が文字の数だと思えばもう2人以上になったら公式がないのです。そして1人だけでも5つの変数以下というものすごく限定された条件下だとみなせるのです。しかも解の公式については3次・4次は式がいくつか必要なほど複雑な形なので、即座に出せるものは変数が3つの2次方程式なのです。日常でそのようなことがあるとすれば「〇〇さんはここの場所であれば1歩目は右足を出す」ぐらいなのではないでしょうか。そんなことしか分からないのです。いや、それさえも正しいかどうか。

 

 もちろん数学の変数と日常の変数が同じように対応しているか分からないのでこんな考え方は妄想でしかないですが、この世の大きさからすればごく小さな誤差だと思うので、そんなものなのではないでしょうか?

【「らくプリ」その32-必ずやれるはずのことから感じた感覚】

 毎日やっている数学のプリント「らくだプリント」で高校の教材に入って、高校レベルの因数分解に入りました。たすきがけを2回使うあの手間なヤツですね。ただあれには、1つの文字に注目して降べき順にまとめれば因数分解できる、というお決まりのやり方があるのです。

 

 このような問題を解いていた時にあることを感じたのでした。それは、今のような問題を解く感覚が、二次方程式を解の公式を使って解くのと同じ感覚に思えたのでした。二次方程式の解の公式を用いてというのは「公式」なので数を当てはめればでてしまうというものです。しかし因数分解のは決まったやり方はあってもそれは公式ではないので当てはめればというものとは違うはずです。しかし同じように思えたのでした。ですが捉え方を変えれば共通点があって、それはというとどちらも「これに則ってやれば必ず解けるはずだ」ということです。それを信じていればできるということで両方とも同じように迷いなくやったのでした。

 

 このようなものを日常においても感じれたらと思ったのでした。感じられるものなのでしょうか?

【とうとう解禁】

 今日、とうとう部屋にあるエアコンを解禁しました。昨日も使おうかと思いかけたのですが、リモコンを見て電池切れで代えないといけなかったことから結局使わずじまいでしたが、連日の暑さにとうとう負けたのでした。

 

 しかし、引っ越してからこの部屋で初めてエアコンを使ったということで、エアコンをつけたがゆえ窓を閉めきったこの部屋は閉塞感のある、どこか隔離された場所のように感じたのでした。