気分やさんの気ままなブログ

【人狼ゲームワークショップをやってみた】

 いつからか人気になっているゲーム「人狼ゲーム」があります。人狼ゲームを何度かいろんな人たちとやっていく中で、これをただのゲームとしてでなく、人狼ゲームを通して学びにつなげることができるのではないかと思ったのでした。

 

 そして、もう1週間以上前になりますが、人を集めて「人狼ゲームワークショップ」ということでやってみました。(今月は学校の講座のこととこのワークショップのことでいっぱいでした。)狙いとしては、人狼ゲームでの他の人からのフィードバックを通して自己理解を深めることでした。集めるために自分のつながりにひたすら声をかけていったのですが、参加者は初めてやるという人からガチ勢まで経験の度合いが幅広かったです。

 

 それほど経験に差があることが懸念でもありましたが、やってみてのまずの感想はみなさんに楽しんでもらえて、気に入ってもらえて安心しました。

 

 しかしやってみて分かったのは、人狼ゲームというものが本当にしっかりできているものだということです。人狼ゲームを行った後にワークシートを用いて振り返っていくという流れだったのですが、人狼ゲームが終わった時点でゲームについての振り返りが自然に湧き起こるのです。それゆえにもっと深くにある学びがある部分にまで潜るためには様々なワークショップより方向付けをする必要があるのだと思いました。

 

 それから、もう1つこうやってワークショップを考えるのが難しい理由が、人狼ゲームから得られる学びが本当に多彩にあるのです。自己理解、コミュニケーション、非言語コミュニケーション、観察力、振り返り、協力、思い込み、組織構造、考えればまだまだ出てくるでしょう。それゆえにどこかに焦点を置いて作りこまないと個々の関心が飛び散りすぎてしまうのです。

 

 ですが裏を返せば、それほど多くの可能性をもっているということでもあるのだと思えました。

 

 参加者が今後につなげられること・活かせることを意識してこのワークショップをいいものにしていこうと思います。今度は8月の前半にやれたらなと思っています。

 

最後にワークショップを通して気づいた参加者の特徴や癖を少しのせておきます。

 ・盛り上がっている時に身を引く

・自分の話したいことが終わったらうつむく。

・自分の発言が変な方向に働いてしまうことをおそれて話そうとしない。

・本音がついつい出てしまう。

・とりあえず最初は様子見する。

 

【企画づくりにおける今と昔のちがい】

 今月から学校で、自分が持つことになった講座が始まりました。

 

 大学時代からワークショップを企画するとかセミナーで学びの企画を考えても来たので、講座を考えるということもその感覚に近いものはありました。ですが、大学の頃と大きく違ったことがありました。それは考えている時の心持ちです。昔は企画を練っている時点でやってみたいとかワクワク感がとても湧いてきました。ですが、最近は講座を考えるのもそうですし他のことでも、考えてもいい波が来ないのです。

 

 それがどうしてかということを考えてみると、大きな理由は、どうなるか予測ができないからなのでしょう。大学の頃は参加者がどのような人で様子も過去に見たことがある上で考えていたので、イメージが持てたのでした。ですが、今やっていることは初めてやることだったので未来図が描けなかったのです。それゆえに考えている時もとても苦しかったです。

 

 だからこそ、逆に大学の頃にはなかったプラスの感覚で、それはいざやってみると描けなかったことが目の前に生で描き出されるので、それがすごく楽しく思えたのです。もちろん上手くいったこともあればいかなかったことも、どちらかといえば失敗したことの方が心に残りはするのですが、それでも次は上手くやってやろうとポジティブに思えるのです。とにかくやったこと自体に楽しさがあるのです。

 

 それとは別に、考えている時に気持ちが乗らない理由も自分の中にあるのですが、それを打開していくにはとにかくやってみるという経験が必要ということも分かっているので、これからもいろいろなことに挑戦していきたいなと思っています。

 

それが今週末と。

【「僕が見ている世界」その8-違うのだけれど】

その人の顔が視界に入ったら、久しく見ていないあいつじゃないかと思った。

気になったから気づかれないようにその顔を見た。

けれどよく見てみたらその人はあいつではなかった。

違っていると分かった。

違っているんだ。

そう分かっているはずなのに、あいつであってほしかった。

その人には悪いことだけど、あいつだったらいいのになと思ってしまった。

【切り替えることが・・・】

 最近になって、学校で数学の講座を自分が行っていったり授業をしたりなど、自分がものごとを進めていく場面ができてきました。一方で、先生が何かで急に授業を抜けることになった時に少しだけど答え合わせをお願いされることも何回かありました。

 

 講座などのようにあらかじめ自分がやるということが分かっている時と、答え合わせの時のように突発的に起こる時とでは、どうも自分の気持ちの乗り方が異なり、突発的な時はあらかじめ分かっている時に比べてしっかりやることができないのです。

 

 それは気持ちの入り方が即座に作れていないということでもありますが、自分の中でオンな状態とオフな状態がはっきりと分かれているのです。今まではその場に合わせて身の振り方を変えようと柔軟に対応することを意識してきましたが、それらが完全にかけ離れて独立したがゆえにすぐに変えられなくなったみたいな感じです。

 

 らくだプリントでも、らくだプリントを取り組み続けてきた今の自分と公文時代の自分がふと切り替わって2つの自分がいると思ったことがありましたが、そのこととも関係しているのか?…

【「らくプリ」その31-振り返りノートを1冊使い切って】

毎日、数学のプリント「らくだプリント」をやった後には日記のようにやってみて感じたことや気づいたことをノートに書いています。去年の9月に小学校2年生の教材からやり始めて高校の教材に入った一昨日にノート一冊を使い切りました。一つの節目としてやり始めてから変わったこと・変わっていないことを振り返ろうと思います。

 

 自分の状態を気にしなくなった。

 振り返る時には、やってみてのことを書く欄と、やる前に思ったことなどを書く欄を作っています。最初の頃は例えば疲れているのであればそのことを書いていました。しかし、今ではよほどの状態でない限りそのようなことは書いていません。ですからやる前の書く欄を最初の頃より小さくして、やった後の方の欄にあげました。なぜ書かなくなったかというと、そのような自分を受け入れるようになったのです。疲れているから今日はダメだろう、ではなくて、今日は疲れているからこの状態なりにやっていこう、と思えるようになったのです。本当に時々ですが、これと同じような感じで、らくだプリントをやらないことも今ではあります。

 

 振り返りの文章量が全体的に減った

 やり始めた頃の文章を改めて見てみるとよくたくさん書いているなあと思いました(笑)今思えば、書くことが多いほどいいのだと思っていたのではないかと思います。最初の頃は長い間ずっと書く欄で少なくとも4行は書き続けていました。今では2行程度で終わることがざらにあります。どうして減ったかというと先ほどのことともつながりますが、自分のことをよく理解していったからではないかと思います。今では数学的な内容に関することの方が割合が多くなっています。

 

環境を整えるようになった

 まあ、そつなくこなせる時が多いですが、心理的なものも含めて上手くいかない時期も何回かありました。それから、この期間の間に引っ越しもありました。上手くいかなかった時、または引っ越しの直後には外に持っていってやりました。鉛筆から途中でシャーペンに変えたり、二次関数のグラフを書く時にはまた鉛筆を使ったりしました。環境はやっている時の心理状態にとても影響を及ぼすと知ることができたのでした。

 らくだプリント以外の日常の場面でも整理したり環境を整えることに、特に良くない状態の時には気が向くようになりました。

 

相変わらず時間にはこだわり続けている

 一方で変わらないことは時間への意識です。これは公文時代からそうでした。2回目は1回目より早くすることをこだわり続けています。つまり、各プリントに目安時間が設けられていますがそれは与えられたものだということで、1回目より早くという目安にアップデートすることで自分ごととして捉えているのです。

 

工夫の仕方を追い求め続けている

 これは変わっていないことであり気持ちを維持し続けられていて向上させられていることです。割り算の筆算でさえその時の自分にとって新しいやり方を生み出しました。しかしながら、気づくまではそのような発見があると思っていなかったので、それは変化したことだと思います。

【ヤバいか考えていたらヤバかったからヤバい】

 2週間ぐらい前の、ちょうどいろいろな案件が詰まりこんでいた頃ですが、心を休める時間が取れていなかったのですが、その時の状態がヤバいかというと別にそうではないよなあと自問自答しながら信号のある交差点にさしかかった時のことでした。道路を渡っていると横の通りから車がそこまで速くないながらもブレーキをかけずにこちらに来たのでした。何事もなかったのですが、変な車だったなあと思って信号を見るとこちらが赤でした← よく考えてみると歩いてきた方向と渡った方向は違って、青を見たのは歩いてきた方向だったのでした。

 

それに気づいた時になって、今の自分がヤバいかを考えている自分がヤバいから余裕がない状態でヤバいんだと思ったのでした。向こうの運転手は危ないと思わせただろうことも申し訳ない・・・。

【時間感覚のズレ】

 最近ですが、自分の感覚とずれていることがあります。それは時間感覚です。どういうことかというと、ある作業をする時にこれぐらいの時間でできるだろうと見積もるのですが、最近は何をするにしても見積もった以上の時間がかかってしまうのです。投稿が止まっていた間に学校の方で授業をしたり放課後に少人数の数学の講座を開いたのですが、どちらも計画した時間通りにできませんでした。バッファを考えておいてでも。

 

 それぞれの作業は慣れていないものもまだ多いので慣れてこれば解消してくるのかもしれませんが、それを待つのがいいこととは思えない。できていない自分を受け止めて、今の自分に合わせて、もっとかかると長めに見積もるようにしようと心がけています。

【音から感じる特別感】

 ネットでのある野球の記事で、どうして「四番」は「よばん」というのかというものがありました。その記事には結局、明確な理由は特にはなく語感がこれの方がいいからということにとどまっていました。

 

ですが、これは僕個人の勝手な捉え方であり意味づけしたに過ぎないのですが、1~9番まである中で四番だけが普通な読み方ではないというのは、どこか四番打者に対する特別感を漂わせてもいると思ったのでした。近頃は二番にも強打者ということも話に少しなっていますが、それでもやはり四番こそチームの主砲というあり方は健在です。

 

 記事を見たからこそ考えたことですが、このように日常に当たり前に溶け込んでいる言葉・音がもたらす雰囲気や空気感もあるのでしょう。

【リセット!】

 お久しぶりです。お久しぶりな投稿です。

 

 近頃ですが自分に余裕がなくて投稿ができていませんでした。いや心に余裕がなかったというのが正しいかな。昨日・一昨日は確かに時間もあって「今日ならブログを書ける!」と思ったことまであったのですが結局ブログを開くことはなく。

 

 そして今日までが自分の大きな山場でそれが終わったので、これから今までの書かなかった状態をリセットしてまた始めていこうと思います。まあ何があったかは今後に書けるのでね。

【教育実習生を見る側になって】

 勤務先で昨日まで教育実習生が来ていました。その中に数学で来ている学生がいたので自分も実習授業を見ていました。しかも大学の学科の後輩であり僕のことが知られていたという・・・。フクザツ。

 

 それで見ていく中で思うこともあるわけです。1つは最近も別で書いたことですが、いかに普段授業をしっかり見れていなかったかということに気づいたことです。実習授業を見ていたら1時間でいいところ・悪いところ両方で20近く気になったところが出てました。ですがこのように挙げられた時に普段じゃこれほどは挙げられていなかっただろうなと思ったのです。

 

 もう1つは2週間でこれほど成長するのかというジジクサイ感想です(笑) 実習生を担当しているわけではないのにこんなにも付くことができてある意味恵まれていたわけです。そして僕もこんな身ながらフィードバックするのですが、回を重ねるごとにフィードバックの内容が深くなっていき、改めて人が成長するのは感動的でした。

 

 実習生を見ていると、自然に僕自身が中学校へ教育実習に行った時のことを思い出していました。