昨日に続いて「宇宙船地球号ミッション!」の振り返りをします。
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今回は参加してくれた子どもたちに起きたことに注目してみようと思います。
今回は大曽根でやりました。商店街とのつながりもあったことから声をかけてみて、商店街に住んでいる子とその友だちが3人でまとめて申し込んでくれました。
そしてその3人が僕のグループに入ることになりました。
そうであれば参加者同士ではじめましてということはないので、関係性づくりはほとんどクリアされていました。
ですがイベントに対してどのような心持ちで参加しているかということには懸念がありました。
そしてそれは最初の方で目に見えました。
最初の自己紹介を自分からしたがらず、そして次のお題に沿って絵を描いてみようというワークでは3人ともとても小さく絵を描いていました。
(思わずちっちゃく描く選手権かとツッコミました(笑))
ですがここまでの様子が次のワークからガラッと変わることになります。
次のワークでは「いろんな線や絵を描いてみよう」というものでした。ZOOMで事前収録した映像の説明に沿って一緒にやってみるものでした。
最初はやっぱり小さく描いていたのですが、次第に大きく描いていくようになりました。
ここで僕たちMAが意図した行為はたった1つだったかと思います。
それは「認める」ことです。
うまくできたことやいいなと思ったことに「いいね!」と返すこともしました。
ですがそれ以上に何か空気感的にも変わったのを感じたのは、参加者の1人が「こんな風にペンを使っていい?」と聞いてきた出来事でした。
普通に考えたらそのペンの使い方は乱暴な使い方と思われて制止させられることでしょう。
ですが、そのペンが僕の私物でありここは学校でもなければ試すことに価値がある場だろうとも思ったので、いいよと許可したのでした。
そこからその子が自由に広々と描くようになったのでした。
そして不思議なものですがほかの子にも伝播していったのです。
それだけでなく、その先のワークだけに限らず過ごし方についても自分がありたいように過ごすようになっていきました。
お菓子を食べながら取り組んだり、まともではない意見を出したり、ワークから離れて寝転がったりしました。
しかし一方で、プラコップと白紙とマステを使ってロケットの模型を作ってみたりもしていました。
ワークにひたむきになってくれたばかりではなく、むしろちゃんとワークに取り組まなくなった方が強いかもしれません。
けれども少なからず自分がどうありたいかということを主張し、何かに拘束されることなく過ごすようになりました。
しかしおもしろかったのが「こんなことしても大丈夫なのかな?」という時にはそうし出してみる前に都度僕たちに聞いてきたことです。
妙なことじゃありませんか?
どう過ごすかは個人の自由のはずなのに了承を求めてくるわけです。
これが相手への気遣いということであれば分かります。
ですがこれは明らかに「それをするのは良くないこと」が普段過ごしている場で植え付けられているからではないでしょうか?
こうして子どもたちの普段の実態を感じることになるとは思っていませんでした。
もう1つ起きたことがあります。
それは2日目のことで、もう片方のグループの子が同じグループの子に怒ったのでした。
要因はいくつかのことが積み重なったゆえのことでした。
ですが驚いたことは、普段学校で友達にこうやって怒ることはあるかと聞いてみたら「ない」と答えたのでした。
トラブルが起こることはよくないことに思いがちですが、僕はその子に「普段はできない経験ができたね」と伝えました。
今回のことをどうとらえるかはその子次第ですが、その子のこれからの糧になってくれたらなと思いました。
そして、このイベントがすごく貴重なものにできたなと思いました。