塾のお手伝いをしていますが、教えている場所で同時並行に別の習い事が開かれていることもあります。その日は国語教室が開かれていました。
自分が見ている子たちが終わってから国語教室の方に続けて参加し、僕もちょうどその子たちで塾の方が終わり時間が空いていたので見させてもらいました。
そこの国語教室では絵本を読むことを行うということで僕も先生が持ってきたものから1冊選んで読むことにしました。
『木を植えた男』という本を選びました。著者はジャン・ジオノという人の外国で書かれた本になります。
しかし衝撃を受けたのが、この本は絵本でありながら著者の体験を書き綴ったものになります。
なのでほかに持ってきていたレオ・レオーニの『フレデリック』のような易しい言葉を使った分かりやすい物語とは全く異なるものでした。
それこそ文章だけを見れば詩のような、小説のような感じでした。
絵本=児童文学という認識が強かったのですが絵本も多様なのだと知りました。
そしてもう1つ考えさせられたことがあります。それは著者と絵を描いた人は違う人なのですが、この絵本ができた成り立ちにあります。
実はこの話自体が先に本になっていて世に広まっていたのですが、それを絵を描いた人フレデリック・バックが読んで感銘を受けて絵本化したのでした。
それもフレデリックがこの話に出会った時には著者ジャンはこの世を去っていました。
つまり、絵本という文章と絵が合わさったものながら著者と絵を入れた人はやり取りせず作られているわけです。
対照的に思い浮かんだのが音楽作成の作曲者と作詞者の関係です。音楽はその時にできるものであり両者は何かしらやり取りしながら作っていることでしょう。
このように絵本というものそのものの背景を考えると今までになかった見方ができるようになると思いました。