小学生の子どもたちに勉強を教えるようになった今日この頃ですが、学校で数学を教えていたということもあって算数を見ることよくあります。
1人1人どれほどできるかは異なります。
ただ、それが初めて見る子でも、算数なら間違えそうな予感がすると実際に間違える、というように見抜くことができてしまいました。
確証がもてるほどは分からないですがなんとなく感じることができます。
それは、寺子屋塾で算数・数学のプリントを自分がやっていた時にどういう時にミスをしてしまうかを深く追究してきたからなのだと思います。
内省をしていて分かったのは、ミスをする時は何かしら自分の心身が健康でない時だったり周りの環境が普段と異なることが多いということでした。
その分、どうしても余計なことを考えてしまったり自分のペースを乱されているのです。
このように自分については精神レベルの省察から導き出した境地ですが、今回のように他人となると心の中を見抜くということはさすがにできません。
しかし、そこまで見れないからこそ注目しているのは精神レベルより浅いレベル、目で見える部分です。
字の大きさや丁寧さ、目線や考えていて手が止まっている時間の長さなどです。鬼滅の刃でいうところの「隙の糸」的な?
子どもだからということもあってけっこう極端に分かります。
そのタイミングで注意して見ていると間違いが発生するのです。
ただ、数学のプリントをやっていたのはもう1年以上前だったので数学に対する感覚は落ちていると思っていました。
それがこうして今も残っていたというのは、よかったという気持ちもありますが、それほど打ち込んでいたのだと改めて自覚することができました。