毎日やっている計算プリント「らくだプリント」で今は中1の内容に入ったのですが、その前の小6の最後の単元で方程式をやっていました。(学校ではやりませんがらくだプリントの教材には入っています。) その際に方程式の解を求めるだけでなくその後に買いが正しいかどうか検算をやるようになっていました。この検算をするということに面白さがあったのです。
前提として、方程式とはいうものの中学のように移項であったり両辺をある数で足し引き掛け割りをするというほどのことではなく簡単に言えば例えば最初に引き算を学ぶ時のように「いくつを足せばこの数になるか」というような考え方をします。また順に1つ1つを計算するというよりはどのように解を出せるかを考え式を作るようにして解きます。例えば
2x-3=5
であれば
x=(5+3)÷2
として一度で求めます。
こういったやり方の上での検算なのですがするとおもしろいのです。先ほどの方程式の解はx=4であり、検算すると
2×4-3=5
となります。
さてもう1度解いた時のことに戻ります。解くにあたっての計算の流れを言葉で書き下ろしてみます。
①(5に)3を足す
②2で割る
次に検算の流れを同じように言葉にしてみます。
①(4に)2をかける
②3を引く
2つの流れを比べてみると足すことと引くこと、かけることと割ること、そして順序が逆に流れていくのです。当たり前と思ったりよく分からないと思ったりするかもしれません。やってみた感覚を言葉にしているので伝えるのがそもそも難しいのですが、分数が入ってきてもっと複雑な計算をすることになったとしても逆順で済むのです。すると検算している時にどう感じたかというと元の方程式に解を当てはめなおして改めて計算するという感じではなく映像の巻き戻しのように解を求めた地点から元の式の右辺に戻っていく感覚になったのです。計算をし直すのではなく流れを戻っていくのでスルッとできるのです。
しかし、これがある意味問題になるのです。これは検算なのです。本来は元の式に当てはめなおして改めて計算して確かめる作業なのです。しかし巻き戻しをしてしまっているのです。そう検算をしているようでしていないのです。ですから求めた解が間違っていても間違ったなりから巻き戻ししてしまいさも合っているかのように思ってしまうのです。これは検算のみならず、一般的に振り返りをするにあたってもその元となっているものとは切り離して考える必要があるのだと教えられているようでした。
当然上手くいっているとか当たり前なことだという気持ちで振り返りをせずやった時とは切り離して見つめ直すことこそ振り返りになるのですね。