気分やさんの気ままなブログ

【オンラインコミュニケーションツールはZoom以外にも】

 今日オンラインで話し合うアプリで最も広まっているのはZoomと言えるでしょう。

しかし実際にはほかにもいくつものオンラインでコミュニケーションをとるアプリがあります。

 

 僕も普段はZoomを使っているのですが、人に誘われてほかのアプリを試す機会がありました。それは「Houseparty」というアプリです。2回試したことがあります。

話しによると、海外の学生の間で特に流行しているようです。

 

どちらも顔を映してマイクを通して会話するものですが、2つの違いはざっくり言うとZoomがミーティングアプリであるのに対して、Housepartyはチャットに近いアプリです。

特徴はというと、大きく2つあります。1つはホストがいないということ、もう1つは簡単に話し合っている部屋を行き来できることです。

イメージは、Zoomが1つの施設の部屋を主催者が借りて会議をするのに対して、Housepartyはアプリ自体が1つの大きな部屋で、その部屋で大きな立食パーティーが開かれる感じです。

 

特徴の、ホストがいないということについて。Zoomの場合、企画をする人が部屋を立てて、そこにほかの人が参加するという形です。そしてルームの設定などもホストが行うものですね。

一方のHousepartyは誰もが場の設定を変えられます。というよりこれにはルームを立てるという作業がありません。

1人だとしてもそこが1つの集まる場になるのです。

 

 ここで2つ目の特徴の、簡単に話し合っている場所を行き来できることについて。

このアプリ、同時に集まることができる人数は1つの場に8人までです。

ですが、別の人のところに簡単に移動することができます。

基本的にはスマホで使うことになり、画面を横にスワイプするだけで知り合いになっている人の別の集まりに移動できるのです。

 

 ということで、集まる約束をしてから利用することもできますが、1人のところに「自分の知り合いこの指止まれ」形式で集まるような形もあります。

また、そこの話が飽きたり別のところの話が聞きに行きたければ移動すればいいわけです。

疲れたら離れて1人になることだってできるわけです。

 

 立食パーティーと例えましたが、バーとか居酒屋で近くの人に話しかける感じでもありますかね。

いずれにしても海外で若者の間で流行ったということも分からなくはないですね。

しっかりとしたミーティングというわけではないのにZoomだとどこか固苦しい時には、Housepartyの方が適切だったりするかもしれませんね。

それこそ「ご自由に参加どうぞ」みたいなものであればこっちの方がいいのではないかとも考えています。

 

iOS用アプリインストールページはこちら

https://apps.apple.com/jp/app/houseparty/id1065781769

【ツイッターとFacebookのちがい】

 昨日は「場面緘黙」をテーマにしてブログを書きました。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

 

そうしてみたところ、Facebookはいつもと変わらずの反応でした。ですが、ツイッターの方では場面緘黙のことを扱っているアカウントからリツイートを受けました。

 

 そのようなことがあって、ツイッターFacebookで役割というか使われ方が違うことを改めて感じ、使われ方の違いを考えてみました。

 

 ざっくりいえばツイッターはプライベート、Facebookは社会性が基盤にあるものと言えるのではないかと思います。

その証拠に、ツイッターは直接会ったことがない人ともつながってやり取りをすることもあります。

一方のFacebookは直接会ったことがある人、でなったとしても何かしらの形でやり取りがあった人とつながることがほとんどで、Facebookからというのはかなりレアでしょう。

そういう点では学校で言われる「知らない人とSNSで関わらないように」に当てはまるのはツイッターの方がほとんどなわけですね。

しかしこれは裏をかえせば、ツイッターはつながりを広げようとすれば自在に広げられ、逆にFacebookでは実生活以上の広がりはあまり期待できないわけですね。

 

 もう1つ違いは、投稿を収集・拡散することです。例えば昨日の「場面緘黙」に関する投稿を集めようとしたとします。

Facebookでは、できないことはないですが検索をかけてもそれほど引っかからないのです。一方、ツイッターの方では検索すれば大量に出てきます。

拡散する方も、Facebookはシェアですが、されるものはされていますが、ツイッターの方が手軽というかあらゆることがリツイートで回っています。

 

 

 僕が大学生の頃にFacebookを使い始めた時、Facebookの印象を「大人っぽい」と思ったものです。

自分が活動する上ではFacebookの方が役に立つ一方で、(真偽はおいといて)新しいことを知ることができるのはツイッターの方が機能しているのかもしれませんね。

【場面緘黙と「自粛」】

 今月は場面緘黙(かんもく)啓発月間のようです。場面緘黙とは家庭などでは普通に話すことができながら特定の場所では話せなくなってしまうものです。

恵まれたこと(と言っていいのか)に、大学生だった時に場面緘黙だった小学生に出会い、場面緘黙を克服したところも見ることができました。

 

 今考えていることは、場面緘黙を抱えている人にとって今の状況ってどうなのだろうかということです。

僕自身がなったわけではないので憶測の話になりますが、場面緘黙の原因の一つは環境によるそうです。

強制がはたらくなどでプレッシャーがかかると緊張から話せないということがあるそうです。

そのような人たちにとって「自粛」とはどういった作用があるのかです。

克服させようとしている人の立場からすれば、機会が減ってしまったと言えるかと思います。

ですが当事者からすればこう言えることもないでしょうか?

 

無理やり行かされずに関わりを強制されることから解き放たれた。

 

 例えばそれこそ学校で場面緘黙があったとします。しかし義務教育である以上、学校に所属しているならば行くことが強いられるでしょう。

それが「自粛」という社会の動きによって強いられずに済むのです。

 

 

 先ほど書いたようにあくまで「憶測」の話でしかありませんが、「自粛」がプラスに作用する人もいるのではないでしょうか。

【初のオンラインインタビューゲーム!】

 インタビューゲームをこれまで28人とやってきましたが、それは目の前に向かい合っての対面でのものでした。

それが、今の状況ではできない形となってしまいました。

ですが昨日、初めてインタビューゲームをオンラインでやりました。

自分から誘ったのではなく誘われてのものだったので、誘われなければやることはなかったでしょう。

あ、そもそもインタビューゲームってなんだと思われた方はこちらをどうぞ!

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

 

 相手の人は以前にオンラインでインタビューゲームをやったことがある方だったのですが、自分は初めてだったので感想はオンラインに関することが多かったです。

 

 

○「今日、何か話したいことありますか?」

 自分が聞き手だった時のことです。最初はこちらから質問していてその返しに続く質問を途中までしていました。

ですが、どうも話の進みがぎこちないというか勢いに乗ってこないし先も載りそうな気配を感じませんでした。

そこで投げたことが「今日、何か話したいことありますか?」でした。

今まで話題転換を狙いとしてこれを投げたことはおそらくないですし、されたこともたぶんありません。

しかし、まわりでやっていた人が使っていたことがあったのは記憶にありました。

約半分の時間が経った時のことでしたが、結果としてそこからの内容で相手の紹介文で書くことになったのでした。

 

○空間的共通性

 振り返りの時に相手の人から話があがったことで「価値観をもっと深く掘り下げたかった」ということがありました。

回を重ねた僕でもそれは非常に難しく、「きた!」と思える感覚があったのは片手で数えるほどです。

そしてそれは対面よりオンラインの方が難しいことだと思ったのです。

その「きた!」となった時はいつも僕だけでなく相手の人も感情が湧き上がっていました。

それはお互いに同じ環境の同じ場所にいて、気持ちが相互作用で相乗的に高まり合うのです。

それがオンラインだと、環境音はマイクに乗らない、乗ったとしてもそれは本来自然のものが編集されて機械的なものになってしまいます。空間も異なります。

発言もオンラインの特性か、かち合うことを避けるように重なることがあまりありません。対面だと特に共感する時とか重なることがあるはずです。

 オンラインの是非が語られる時の要素の一つがまさにこのことではないでしょうか。

 

○オンラインでもKJ法

 インタビューゲームが終わった後に振り返りを毎回しますが、ふせんに思ったことを書く「KJ法」でこれまでやってきました。

しかしオンラインということでどうしようか、口でやるしかないかとやる前に思ったのですが、そんな時にできそうなものを見つけました。

それが「miro」というふせん機能がついているホワイトボードツールです。

調べてみたことはあったのですが、インタビューゲームをやる1時間前にアカウント登録、操作確認と行きあたりばったりの試みでした。

ですがやってみたところ、リアルでやることには劣るもののちゃんといつもと同様にやることができました。

使い方の説明も15分あればできます。

(こっちが途中でフリーズするというトラブルはありましたが。でもそれは7年以上使っているノートパソコンなのでね。Zoom+miroで限界かどうかって感じでした。)

 相手の人にも事前にアカウントを登録してもらわないといけないという手間はありますが、miro自体で同時に編集して共有できます。

miroはこちら→ https://miro.com/app/dashboard/

 

 今回はオンラインという初めての試みでしたが対面と同じことがやれるということが分かった29人目のインタビューゲームでした。

ということで、出歩けなくて何かしたいことを探している人、遠く離れた場所にいる方も、もしよければオンラインでもインタビューゲームをやってみたい人がいたらどうぞ!

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【最近なにを撮りました?】

 直近ではないですが、はてなブログのお題「最近なにを撮りました?」から、投稿するタイミングを失いつつあった写真の投稿です。

コロナウイルスが蔓延してきて外出を控えるようになっていた時期に、大学生の頃からなにかと気になっていた場所、アクア・トトぎふに行って練習しようと撮ったものです。

特にお気に入りの写真を。

 

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 過去に連休のタイミングで同じような動機でアクアリウムに行きましたが人が多くてじっくり撮れませんでした。

それと比較すると、喜ばしいことではないですがガラガラな方がこちらとしては好都合でした。

 

 この後にさらに行った下呂での写真はまたいずれあげようと思います。

【最近なにを撮りました?】

 直近ではないですが、はてなブログのお題「最近なにを撮りました?」から、投稿するタイミングを失いつつあった写真の投稿です。

コロナウイルスが蔓延してきて外出を控えるようになっていた時期に、大学生の頃からなにかと気になっていた場所、アクア・トトぎふに行って練習しようと撮ったものです。

特にお気に入りの写真を。

 

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 過去に連休のタイミングで同じような動機でアクアリウムに行きましたが人が多くてじっくり撮れませんでした。

それと比較すると、喜ばしいことではないですがガラガラな方がこちらとしては好都合でした。

 

 この後にさらに行った下呂での写真はまたいずれあげようと思います。

【記録を取るだけで変化がある】

 らくだプリントと別に毎日取り組んでいるもので「Prime smash!」というアプリゲームをやっています。このように取り組んでから1か月以上になりました。

(どのようなゲームかはこちらをどうぞ!)

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

 

 

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 素数かどうかを判別するこのゲームですが、この取り組み前まではただひたすらやるだけでした。

それを記録表を作り、録画を振り返って得点、正答率・正答数・誤答数、正しく判別できたもの・まちがえたものを記録することにしました。

 記録表を作り振り返るようになると、それ以前でもある程度は考察できましたが、それ以上に深く考察できるようになりました。

2分間で挑戦するのですが、終盤の方が出てくる数字が大きくなっていたことに気づけました。

また、まちがえずに連続で一定量正解し続けると得点の倍率が10%ずつ大きくなっていくのですが、それがうまくいき続けて40%ぐらいになるとけっこう大きな加点となっていてスコアが大きく変動していました。

 また、正答率はいつもだいたい90~92%で、まちがえた個数が13個前後、いい時は1ケタに抑えられていました。

ということが分かるようになったので、目指す指標がより具体的にできました。

 

 一方で正解したものもまちがえたものも記録していましたが、4ケタともなるとどちらにも目を向けて改善するということに限界を感じました。

ということで、今月に入ってからは間違えたものを記録し、そのうち素数でなく分離できたもの(合成数)をいくつか自力で見つけ出し直すことにしました。

というのは、合成数の方が印象に残りやすいと思い、残れば今後に生かせるようになるはずという憶測です。

これでも4ケタ相手に思惑通り通用するか分からないですが、実験してみようと思った次第です。

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 この記録表を作るということは、寺子屋塾でのらくだプリントから着想を得ました。

このようにするだけで自然に考えることに向かったことに、記録を取るという価値を実感しました。

【家でも経営ゲーム!】

 通っている寺子屋塾でやっているものの1つに「経営ゲーム」というボードゲームがあります。

 実は経営ゲームをこれを機に買いました。(知っている人は知っているでしょうが旅行に行けるほどの額です)

というのも家で時間があるからというのもあるのですが、イベントを開いていこうと思っているからやり込みたいということがありました。

 

 ただ、イベントを当初はGWぐらいに会を開くということをやりたかったのですが、それは現状からもうしばらく延期。

ですが、オンラインでできないかということを模索しているところで、友人とテストプレイをしているところです。

もうちょっと磨かないといけないですが、構想はほとんどできています。

イメージとしては研究会という感じです。

 

 「経営ゲーム」というだけあって起業する人や経営者向けのゲームというイメージが強いかもしれません。

ですが僕自身、別にそのような気はまっさらありませんが、得られるものがあることを確信してやりこんでいます。

話し出せば長くなりますが、数学的な要素でいえば確率というものの捉え方であったり計算できることの重要さはやった誰もがすぐに思うのではないでしょうか。

 

しかしもっと広く、日常生活を取り巻くことのレベルでも学べることもあります。

経営ゲームの正確な名称は「トータルゲーム」ということでゲームの要素一つ一つのバランス感覚が求められます。

どっかだけ突出しているとどこかが行き詰まる、みたいな。

それは今の状況にも言えることで、経済を回すことに力を入れすぎては医療現場や教育への手回しが遅くなるみたいなことです。

 それでもって経営ゲームをやった今思うことは、コロナウイルスは果たして「悪」とか「敵」なのかということです。

こうは考えられないでしょうか?

 

過剰に発展しすぎてバランスが崩れていた世界状況のエントロピーを減少して本来あるべきバランスにするために自然が与えたもの。

 

あまりにも根拠も理論もない空想かもしれませんが、そう捉えると今の手立てって自然の摂理に即したものなのだろうかという見方もできるのです。

 

 

 経営というコンテンツを利用して日常での思考に還元できればなと思っています。

もし興味ありましたら、参加してみてください。

 

 ちなみに下の写真はまもなく倒産するという状況です←

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【「自粛」って国からされるもの?】

 オンラインで初めての(飲み会以外の)イベントといったものに参加しました。これまでに何回か参加したことがある「教師塾」です。

各回でコンテンツが変わるのですが、今回参加した「哲学対話」は初めてでした。

 

 10人で1つの問いを立ててみんなで考え合いました。

今回立てたテーマは、忘れてしまってその時通りの言葉ではないですが「コロナ騒動を受けての”自粛”をどうとらえるか」でした。

「自粛」というのは「自らを粛(つつし)む」という能動的な意味です。それが現実は国・政府からの命令、受動的になってないかという見方からでした。

 

 話し合いで印象に残ったことが5つあったので、それぞれある程度の密度で感想を載せます。

1つ目は、外からの情報を知らないうちにあたかも自分が考えたように自分自身の脳が編集しているかもしれないということです。

一見自分から粛んでいると思いこんでいることも、実は政策やまわりの人の言動によって決めていたものもあるかもしれません。

それを自らに客観的に問いかけることで主体的な判断が鈍らないことにつながり、それが今の生活のあらゆる場面の選択につながるのでしょう。

 

 2つ目は防災の尺度と極めて似ていると思ったことです。これについては以前に書いたのでこちらを見ていただけたらと思います。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

簡単に言うと「自助・共助・公助」の3つです。順に自分・みんなで・国などの政策です。

ただ、「自助」である「自分」が自分一人だけなのか、あるいは家族、それ以上なのかと人によって領域が変わることがあるということが話し合って気づいたことでした。

 

 3つ目は報道されている状況との今回の話し合いのズレです。

ニュースでは政府からの通達で店がやっていなくてどうとか学校が開いてなくて現場が困っているという報道をしています。

ですがこの集まりでは、政策についての批判ではなく、まわりの人とどう折り合いをつけていくかというところで盛り上がってきました。

政策がうんぬんかんぬんという話があまりなかったのです。

このことがまさに1つ目の「自らに客観的に問いかけることで主体的な判断」をすることにつながってくるのではないでしょうか?

 

 4つ目は人の立場を尊重することの大切さです。今回の話し合いは学校で教員をしている大人もいる一方で高校生もいました。

「共助」の部分ですが、それぞれの立場によって大切にする度合いが変わるのです。

教師ならば生徒を守るということが必要になります。

一方で子どもたちにとっては究極的には自分さえよければほかの人は勝手でしょ、とも主張してもおかしいことではないのです。

いろんな立場の人がいるということを念頭に置いたうえで様々な角度から見る必要性を感じました。

 

 そして最後が今の話ともつながるのですが、「ない部分」をいかに見落とさないかということです。

今回の話し合いはこの10人の間でできたものです。例えばここに、安倍首相が入ったらどうだったでしょうか?

きっと今回はあまりされなかった「公助」の話が膨らんだことでしょう。

また、このようなイベントに無関心で参加しないような人もいるわけです。そのような人たちが考えたらどうでしょう?

ニュースの見方にもつながることで、事実・事象をいかに1つの主張に流されずいろんな見方をしてみるかが大切なのではないでしょうか。

【最近になって欲求が出てきたもの】

 最近になって恋しくなってきたのが映画館に足を運ぶことです。今年に入ってからはそれまでより行く回数が増えていました。

今となっては、映画上映予定を調べてみると0の無惨な数字と、作品が羅列されていない素朴なページになってしまっています。

 

 家にいる日が続いて、テレビで録り溜めしてあった映画やアニメを消化していき、貯蓄もなくなってきました。

かといってお金を出してまでレンタルしてくるとかネットで見るっていうのも違うんだよな~。

 

 本当ならば上映されるはずだった作品が上映されず眠り続けていると思うと寂しいものがあります。