気分やさんの気ままなブログ

【書けなかったことから気づいたこと】

 昨日、ブログを書こうとしてパソコンは立ち上げたのですが、いざ書こうと思っても書くことが見つからず、結局書かずじまいになってしまいました。

 

 ですが、その後にどうして書けなかったのか考えてみたらあることに気づきました。それは1つの話として“形”にしようと固執していたのです。

本当に全く思い浮かんでいなかったわけではありません。しかしその話は結局膨らませられない、話の終着点がないということで書かなかったわけです。

別に形にしようとしなくても、書いたのであれば何かしらの形になっているはずなのに。

 

 「気分やさんの気ままなブログ」のとおり、形にするという強制力に束縛されず、気ままに書いていこうと改めて思いました。

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【「らくプリ」その43-問題数は99問でも】

 らくだプリントをまるっと1週間、同じプリントをやるようにして2回目です。

前回のプリントは1週間やってもこれといって得られたことは実感できませんでした。しかし、今回はいくつか発見がありました。

 

 1つは時間への意識です。1周目は同じプリントを2回はやっていて、1回目より早くやることへの意識が強かったです。

しかし今回は1週間もやるので、1回目から2回目は慣れによって早くなることがあっても3・4回目からは時間があまり変わらなくなります。

そのようなこともあってか、時間への意識が弱まりました。今回の1回目をやってみたら以前にやった時よりも遅くなりました。

ですが、遅くなって“しまった”というようには思わなかったのです。むしろミスしないようにやるとこんなもんか、という気持ちで済みました。

 

 もう1つは計算すること、プリントに取り組むことに対する考え方です。

以前に前提ということについての投稿をしました。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

そのことが今回の取り組みにも言えたのです。中学校の頃から数学のテストは2周して完璧に取り組むようにしていました。

1周目は早く最後までやり切る。そして2周目にミスしていないか確認して正しく直して完璧になるようにしていたのです。実際2周目で直す問題の数は割と多いです。

らくだプリントでもそのようにやればいいのかもしれませんが、らくだプリントを2周してやろうとはなりません。

おそらくテストは100点を取るように取り組むのに対して、らくだプリントは計算をすることが取り組むものと、モノが違うからでしょう。

しかしこの時に思ったのが、テストでも1周目はミスが多いから、この計算だってミスをすることを前提に思えばいいのではないかということです。

それと同時にだったら1問1問解いたときに即座に確認すればいいではないかということです。

なので1枚99問あってもそれ以上の問題を解いているのだと思うようにしました。

そのように思ってやってみたら、ほとんどの日でミスを1問もしなくなりました。間違えかけた時のもどかしさもかなりなくなりました。

 

 それでこのプリントでの変化は終わり、そう思っていましたが、最後の予定だった7枚目。安定していた時間が突然、30秒短くなりました。(自分にとって30秒は大きいです)

そこで次の日にもう1枚やったらさらに早くなったのでした。

なぜいきなり早くなったのかは分からないですし、もっと早くなるのかもしれないとも思ったのですが、このプリントはここでやめて、このことについては次のプリント以降に考えることにしました。

【6/17】

今日は仕事から始まって、寺子屋塾へ行って、平日さながらに久しぶりの中学校の同級生と飲んでと予定の詰まった1日でした。

そんな今日の1日でしたが最後に思ったことの着地点は、1か月前に出合ったこの言葉でした。できていないからしようというものです。

 

思いを言葉にするだけで幸せ

 

はてなブログ今週のお題→おとうさんへ)

【またこのクソアニメについて考える時が来るとは】

 とある飲み屋にある本が置いてありました。

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 「エイサイハラマスコイおどり」、そう、通称クソアニメ「ポプテピピック」の中のコンテンツの一部です。

ちなみに以前にこのアニメについて書いたもの↓

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

 

「エイサイハラマスコイおどり」が何なのか説明しようとしても落ち込んでいるキャラクターを励ますために披露された踊りでなんか流行らそうとしている?、ことが正しいかさえ分からないものです。

 

 この本にはこの踊りが組み込まれている狙いを考察している本で、いくつか紹介されていました。

とはいってもお酒が入っている身でもあったのでしっかりとは目を通していません。それにそのような考察は結局無意味なようにも思うからです。

その本に書かれていた言葉の中で「余白」と書かれていました。だから見た人に解釈の余地を残しているということでしょう。

しかし自分にはポプテピピックという作品自体が、余白が残されたものどころか自由帳への落書きのようなものではないかと思うのです。

本編についてでタイムパラドックス説などもありますが、風評被害の逆といいますか、作品価値を見た人が勝手に上げてくれているようにも思えます。

 

 一方で作画崩壊という言葉も書かれていました。

しかしそれについてはむしろ逆に、画の乱雑さは意図的でありこの作品の象徴なのであれば1つの作画として確立されているのではとも思いました。

 

 ・・・という考察ももはやアニメ制作者の手の内なのかもしれないですね。

【夜遅くにフットサルだったので…】

今日は夜からフットサルに行ってきました。

しかし9:00-10:30という時間で家に帰ったのが日付を超える間際でした。


そういうことで帰ってから今日のブログを書く時間が取れないことを予測できてませんでした。

家に帰ってしばらくしてから出直したのでその時に書けばよかったな〜。

【とにかくアツい、triggerファン待望の作品!】

 令和初の映画館に行きました。何を見たかというと「プロメア」です。いやぁ2週間前に一度、今週にもう1度推されて、平日ながら見ることとなったのでした。

 

 ネタバレの線引きがある意味難しい(だって黒幕は予告のムービー見れば「察し・・・」となるでしょう)ので感想を書くのに困りますね。

 

「プロメア」はアニメ映画で、知る人ぞ知るtriggerという会社が作ったもので、過去にはグレンラガンキルラキルといったアニメを手掛けた会社・スタッフが制作したものです。

だけどここに宇宙パトロールルル子リトルウィッチアカデミアとSSSS.GRIDMANのアニメの名前も入れておこう。

実は声を当てたキャストもほとんどはこれらの作品に出たことがある人が担いました。そこに松山ケンイチ早乙女太一堺雅人が監督の劇団つながりで選抜されています。

最初は俳優が声優を担えるか心配したのですが見たら役に入りきっていて疑ってゴメンナサイでした。裏切るものは何もなかったです。

 

 ここからはマニアックな話。過去アニメがらみの話。

まずは、主役のガロがグレンラガンのカミナに見た目がそっくりなのですが、パラレルワールドかよというほど同類ですねこれは(笑)

グレンラガンに関してさらにであればポージング!ロボのくっつく場面のそれ見覚えあるぞ・・・!

次にキルラキルとのつながり。作画にすしおさんが携わっているのですが、最初はすしおさんのテイストを感じないなと思ったのですが、リオの画、あれはすしおさんのデザインでは・・・!

それからキルラキルの四天王。何かとキャラの雰囲気似ているのですが!?

そして何よりも音楽!澤野弘之音楽!あれはキルラキルもすごかったけどそれを超えた大傑作と言えるのでは!

ほかにもマッドバーニッシュのフォルムはルル子で見覚えあったり小動物はリトアカ感あるし。

 

 とにかく情熱にあふれた作品で、独特な色づかいをした表現が嫌に思わない限りは誰でも楽しめる、そしてtriggerファンはさらに楽しめる映画でした。

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【ちょっとした関わりから】

 自分の学校に教職インターンシップというもので大学生が来ました。

この日ちょうど職員検診があり、授業している先生が検診に行っている間の埋め合わせで一緒に行くことになりました。

 

 そこで少し会話をしたのですが、どこか大学時代の入りたての後輩をその環境に慣れてもらおうと働きかけていたような懐かしい感覚が久しぶりにしました。

ただ、きっかけを与えることはこちらからできても、本当になじめるかはおそらく本人次第でしょう。いい場所だと思ってもらえるといいな。

【素因数分解=ハンバーガー】

 個人的に好きなことの1つが数学の素因数分解です。12なら2×2×3にするというもの。

 

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授業での説明でもたとえたのですが、素因数分解は「ハンバーガーの中身調べ」ではないでしょうか。1つのものを開いて中に何が入っているのかのぞきこむ、それが素因数分解なのです。

あと、小中学生の男子なら機械を分解するのと同じことだから好きになりやすいところなのではと思います。

 

 自分はものを分解するのが好きなわけではないですが、数字を素因数分解しては組み直して元に戻してまた分解してと、何回でも繰り返しできるおもちゃが無数にあるのです。

機械によくある元に戻せない問題がないのもいいところです。

【「らくプリ」その42-同じプリントを1週間続けてみて】

 

 

 昨日の投稿の話のように、1週間同じプリントをやりました。

1回目はめまぐるしくいろんなことを考えながら計算することとなりました。1枚99問の中で4個、思考が転換していったのでした。ですが最初だからかな~とも思いました。

その予想は合っていて、6・7回目には計算に意識が向くようになりました。

 

 それから、引き算の筆算をより正確にやる方法は下の位からやっていき、繰り下がりと共に順に考えていくことです。

そのようにもやってみたのですが、どこかしっくり来ないというか、自分のやりたい数学ってこれなのだろうかという思いがしました。

 

 ・・・ですが、これらのことは実は1年9か月前にこのプリントを2回やった時にも思っていたことだったのです。1週間かけても過去を凌駕することはできなかったどころか、2日やっても1週間やっても同じ気づきしか生まれなくて、本当にやる意味があるのだろうかというのかという気持ちさえ湧きました。

無目的でやっているだけあってそう簡単にはこれといったものは見つからず。

 

 これは思った以上に忍耐力のいる地道な取り組みとなるのかもしれません。今週は別のプリントをやりますが、とにかくやり続けてみようと思います。

【「らくプリ」その42、の前に】

 毎日取り組んでいるらくだプリントですが、やり始めてから1年9か月ほどになりました。

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最初は小学校の引き算の筆算から始めたのですが、実は先週で高校の教材までやりきりました。

思った以上にあっという間ではあったのですが、高校の教材の2/3が終わった時にこれはいずれやりきるなとは思っていたので、自分の中では順当でした。

というよりも10年近く前に公文式というもっと長い年月をかけてやりきったものがあったのであんまり感動とかはなかったり・・・。

 

 では終わったからこれでらくだプリントは終了か。いいえ、まだやっています。どこをやっているかというと小学校の引き算の筆算に戻りました。

寺子屋塾では計算ができるようになることが目的ではなく、それを通して自分との向き合い方を見つめるものです。そのため、どこをやるということも決まっていません。

 ならばどうして小学校の内容に戻ったのか。今回、やり方にあるルールを設定しました。それは「1週間同じプリントをやる」ということです。今までの取り組み方を振り返ると、「1回目はこうだった、だから次はこうしよう」と思ってやっていることが多かったです。

では、1週間やり続けたらどうなるのだろうか?最初の何日かは同じように思うかもしれません。しかし、やがてそのような見方は弱まり、別のことに気づくことがあるのではないか。

そんな気がしているのです。

つまりは明確な目的はないのです。無目的なのです。しかし、だからといってやる意味がないとは思いません。

目的はないと言いましたが、無目的にやった先にあるものを見つける、これが目的でしょう。

 

 さっそく1週間やってみたのでやってみての振り返りをしようと思いましたが、それはまた明日に。