気分やさんの気ままなブログ

【具体の観察力を高めることにつながる「定点観測」】

 今日は基本月1の『言葉のズレと共感幻想(以後『言葉のズレ』)』の読書会がありました。

いつものように参加しての感想も書きたいところなのですが、この本に出てくる具体を掘り下げるということについて今日の話の中で出た話が印象的でした。

『言葉のズレ』の中では著者である佐渡島さんのコーヒーの味の違いを「定点観測」しているというエピソードが書かれていました。

その話から寺子屋塾の井上先生が12年間続けて天気についてを「定点観測」して投稿し続けているという話になりました。

やり始めたきっかけは誰とでも話せるようにするために天気のことを知ろうと思ったということでした。

ですが「定点観測」してみると天気のことがいろいろ分かったというのです。

冬至は日没時刻が最も早い日であるわけではないこと、その年の気象によって植物の葉の紅の色づきの時期が異なっていることに気づけたとのことでした。

これはつまり具体の観察が目的だったわけではないが「定点観測」をすることで、結果的に何が変わりうるか(変数)を見つけることができてより具体的な観察ができるようになったというわけです。

「定点観測」をするということから多くのことが得られるのだなと思ったのです。

 

 そして僕も観察力を高めたい、より深く解像度の高い具体の観察ができるようになりたいと思っていました。

するとこのような「定点観測」はうってつけであるわけです。

そしてここからは僕のひとりごとですが、「定点観測会」なるものをやってみたいな~と思いついたのです。

 

・何を「定点観測」するかはその人が自分で決める。(天気、ブログ、ごはん、・・・)

・観測の頻度も観測するものにもよるのでその人が決める。(1日1回なものもあれば、ごはんは1日3食だったりする、ただ観察の連続性から考えると1日1回は観測した方がいいかもしれない)

・観測したことに関しての記録をする。(時間、「もの」がどうであるか、気づきなど)

・記録をすることを考えると何かしらの事実は観測する。(おそらく「時間」は万能、「気づき」は悪いわけではないが主観が入る)

・月1回「定点観測」のシェアをみんなでする。(気づきが多角的になる)

・具体性を上げることを目的としない。(具体性が上がるのはあくまで結果的、スタンスはただやり続けることを楽しむぐらいで)

 

らくだプリントが定点観測ではあるけど、せっかくならいろんな人・「もの」がシェアされあった方がおもしろそうだよな~。

・・・なんてところまで頭に浮かんでいるのですが、どうでしょう?

 

 ちなみに試しにこのブログの定点観測を自分で始めてみようと思った矢先、さっそく書き始めの時間を確認し忘れて何分かけてこれを書いたかの正確な観測ができず←

書き終わりは23:28でした。

だいたい80分くらいかと思います。

最近よく思っていることですが、ライフバランス的にも長くても60分に収めたい・・・。