毎日取り組んでいるらくだプリントですが、数学から国語に切り替えて1か月になりました。
今思うことは、切り替えた時に思ったより欠かさずにやれているということです。
最初の頃は頭で考えることなく書くということが単調だからやらなくなる可能性もあると思っていました。
それが実際は、切り替える間際の数学のプリントをやっていた時よりもやれているということになりました。
そこには「ズレ」がないことが一番の理由だと思いました。この「ズレ」を人に説明するのが難しいところなのですが。
まず挙げるのが、時間がたくさんあるこの頃ですが、寺子屋塾でやっている人からの話で聞くことの1つが「時間があるからできるはず」です。
しかしこの考え方をしている時点で大きな「ズレ」があるのではないかと思います。やれない原因は「時間」にあるのでしょうか?
やれない要因を違ったものに目を向けていたらそれは大きな「ズレ」ですよね。
そして現在プリントをやる時間があると思っているとすれば、それはコロナ前に比べてのことでしょう。
ただ正確には、プリントを「やれるはずの」時間があるということになります。つまり時間に頭が縛られている限りでは、今まで以上に考える材料が生まれてしまったのです。
このせいで余計に焦点が絞れないのです。これが「時間がある」の一番の罠かなと思います。
それに対して自分はというと、時間ができながらも以前と変わらず寝る直前にやります。
どうもそのおかげで時間があることに惑わされずやれているように感じます。
もう1つ言うと、やる目的も等身大の自分とズレがなく合っているのでしょう。
毎日、字を書く手の感覚を忘れないようにとやり始めたことでした。
それに加えて、3分程度ながら漢字の1角1角の筆運びを大切にする集中力をもつことを意識するようになりました。それが単調にならず適度な取り組み感を作り出しています。
そのような感じでやれているので、しばらくは安定してやれるだろうと思っています。