週1日通っている寺子屋塾の運営者の井上先生の話の中で「前提にすればいい」という話を何度も聞いたことがあります。
たとえば寺子屋塾でやっている、原則毎日取り組むらくだプリントについて、やれた・やれなかったでなく毎日取り組むことを前提にすればいいのです、といった感じです。
このブログをやっていることについても同様です。
半年くらいですかね、それぐらい前まではこの「前提にすればいい」ということがどういうことかよく分かりませんでした。
やれたやれなかったは前提にしようが生じるのでは?ということを当時思っていました。
ですが、何度か聞いているうちに少しずつこういうことかなと思えるようになってきたのでした。
それは、見ている視線の先をぶれないようにするということなのではと今では思えています。前提という言葉を言い換えると普通とか当たり前という言葉にあたると思います。
そして前提とすることでその次のもっと深い目標が立てられるようになるのです。
逆に前提としていることができなくなれば、できなかった言い訳を考えることもなく、即座に現状を見直すことができるようになるでしょう。
ですから、原則やるということは前提だと思うとその事柄の見方が変わるのではないでしょうか?