気分やさんの気ままなブログ

【リスタート】

 昨日・一昨日は投稿していませんでしたが、2日間泊りがけのイベントに参加していたためできませんでした。前回の投稿で断りを入れておこうと思っていたのですが文章を書いているうちに忘れていました(笑)

 

 というわけで3日ぶりの投稿になるわけですが、毎日やり続けていたものでもこうやって一度止まってしまい、またやり始めようとはなかなか気が向きませんでした。まるで物体にかかる摩擦で動摩擦力より静止摩擦力の方が大きいのと同じような感覚です。今日の投稿はこのような気持ちで止まり続けるぐらいならこれをはき出そうという気持ちで重々しく書いています。

 

 今日の投稿はリハビリということでここまでとして、明日にそのイベントでのことの話をします。

【メインが視界の中心にいない・・・?】

 ライブに参加していてふと不思議に思ったこと。もちろんアーティストの方に目を向けているのだが、その景色を自分の中で考えてみると、どうも中心にはいない。自分の視界の左右の端から見て6:4ぐらいで中心よりやや右に位置している。

 

 黄金比とはズレがあるけど、見ていながら、この位置のこの感じで写真で残したいと思いました。まあ、こんな見方をしていると目にはよろしくなさそうですが・・・。

【「半分」というレッテル】

 「半分」とは簡単に言えば「ちょうど間」です。データをダウンロードしている時には「50%」という表示がされるし、料理では材料について分数で「1/2」と使われたり、小数では「0.5」なわけです。

 

 作業・タスクを消化している時にはおそらく「半分」を意識するのではないかと思います。半分までやれば終わりまでのメドが立つからでしょう。確かに仕事量全体の半分と言われたらそれで違いないのですが、僕はというとそこで半分終わったとはあまり思っていません。昔の自分の経験から来ていると思うのですが、自分の意識の中では6割から2/3が終わって「半分終わった」と思うようになっていました。昔やっていた公文で、1つの学年の教材プリントは1番から200番まで作られています。ですから100番まで来た時には位も上がって半分まで来たと思えやすいです。ですが、それまでとこれからの難しさを考えるとやはり後の方が難しいのです。そうそう、レースゲームとかも。3周あるからといって1/3ずつ順位上げていけはできない感じ。

 

 そういったように、量の上では半分であっても、それまでと後のこととでは密度というかものごとの重さが違うことが多いのではないかと思います。時にはこのような思い込みが杞憂になることだってあります。その時には思ったよりよかったとラッキーに思っている気がします。自分の中で量的に半分にたどり着いた時には「進んでいる!」といつも思っている気がするなあ。

【人狼ゲームに意味づけを】

 一昨日の投稿の言葉についての話を。あれは人狼ゲームをやって思ったことでした。以前から人狼ゲームをやった時に思い浮かんで考えはじめていました昨日投稿した公園で遊んだ後にやり、お互いの関係はまだそれほど知らないような関係でした。

 

 確かにゲームを進めるにあたってはコミュニケーションによるところが大きいです。ただ今回やってみて、どうも人狼ゲームには言葉・表情といった人からのものだけでなく他の要素もあるのだと思ったのでした。例えば、今回はスマホのアプリでやりました。まず最初にやることは参加者決めということで呼び名と顔写真を入れました。特にこの顔写真というものは顔を撮るということで自撮りまたは誰かに撮ってもらうことになります。そこからゲームを楽しむ雰囲気が作り出されているように感じました。

 

 それから音も関係しているなと思いました。アプリに人狼ゲームに合った音が入っています。ただ、今回は初めてそれとは別に音楽を流してやるという経験をしたのでした。それによってどこか雰囲気が違うように感じました。

 

 そういった要素に加えて、今回は途中から役職を増やしたり参加する人が加わったりしながら計6時間以上はやっていたので最初と最後ではゲームの内容が全然違っていたのでした。ゲームをやっている中でコミュニケーションのスタイルや深さが変化しているのです。

 

 コミュニケーションを学ぶワークでインタビューゲームを何度かやってきていますが、人狼ゲームも同等の素材にできるように思えます。人狼ゲームをやった後にどのようなことが起きたかということからいろんな方向に広がるような振り返りを意図的にしていけばゲームがワークになりえて、コミュニケーションや環境学習デザインなどにつながってくると思っています。これから試行錯誤しながら考えていきます。

 

ということで人狼ゲームを一緒にやってくれる人を近々募集すると思います!やるとなったらぜひ誘ってほしいという方がいましたら募集前の今からでも教えてください!

【なじみある場所】

 知り合いから誘われてスポーツを2時間ほどやってきました。場所は地下鉄の川名駅のすぐそばにある川名公園でやりました。今ではここらへんでは貴重な、ボール遊びのできる公園です。たまたまなのですが、川名公園は小学生の頃に遊んだことがありました。公園自体は工事されて新しくも広くもなり見た目は変わっているのですが、引っ越しながらも小学生の頃のように自転車で向かったのでどこか小学生の頃に戻った感じがしました。

 

 たまには昔に慣れ親しんだ場所に足を運んで同じように過ごしてみるのもいいなと思いました。

【「僕が見ている世界」その7】

場、すなわち環境を見るという見方を知ってもらいたい。

そういう見方を人と分かち合いたい。

そういう見方から学び合いたい。

【問題ごとから何を得るか】

 高校の同級生との飲み会で出た話題がありました。それはコロコロコミックで不適切な表現がされて発売が中止になったということがあったという話題です。もはやコロコロコミックなんていう単語が出ただけでもなつかしさをとても感じましたが(笑) どうして発売中止になったかというのは詳しくはコロコロコミックでググれば候補で容易に出てきます。簡単に言えばモンゴルの偉人チンギス=ハンに小学生が好むような下ネタを掛け合わせてしまったのでした。これに元横綱朝青龍ツイッターで投稿して表面化したとか。

 

 この問題に対して教育的な観点から突っつきたくもなりますが、それ以上にこれは漫画という一メディアで起こったものとしても考える必要があることなのだと思いました。今回はたまたまコロコロコミックで起こったことですが、騒ぎごとになることがなかっただけで他の漫画・アニメ、あるいはテレビ番組でも慎重にならなければいけないのではないかと思いました。

 

 あと、自分ごとにこれを考えることも肝心だと思います。政治に関してだとここまででなくても些細なことで話題になり私たちも敏感に反応するものです。じゃあ自分も同じように人を傷つけるようなことをしていないか。人の振り見て我が振り直せ、だと思います。

【「書かなかった」ことから書いてみた】

 今日、前の職場の歓送迎会がありました。それで、2週間前には今の職場の歓送迎会があってその時とのことで何かしら今日のブログを書こうと思いました。しかし途中まで書いてやめてしまいました。

 

 そもそもお酒が入っていてろくな状態じゃないのですが(←)、書いていて「オチ」が作れないなと思ったのが一番の理由です。終着点が作れそうにない。ここまで考えて思ったことですが、それはどうしてそれでやめてしまったのかということです。こんな状態で考えるのもなんですが、読まれることをイメージしたのです。仮にこれを自分が読んだら何か面白いと思うことがあるか?自分以外だったら面白く思えるのか?この2つをイメージしてみてどちらともつまらないと思ったのでした。

 

 このブログがたくさんの人に読んでもらいたいという数値的な願望は自分にはないです。(はずです。) ですが、読んでもらった人に対して何かを与えたいのだとは思っているからこその、この「書かなかった」という選択をしたのではないかと思います。

【職場で】

 学校でのことですが、自分が勤めているところは非常勤の人以外は学級を持っています。ですから昼食時には職員室にはほとんど先生がいません。

 

 それで今日、非常勤の人以外が教頭先生しかいなかった時がありました。そして教頭先生が電話に出ている時にもう1本かかってきたのでした。前の学校からこんな立場ですることになるとは思いもしなかった電話に出るということをしたのでした。数日前に同じような状況で他の非常勤の人が取ったことを目の当たりにしたことがあったのですが自分が取る時が来るとは・・・。

 

 家の電話でも久しく出ていなかったのでかなり焦りましたが、なんとか(汗)

【「らくプリ」その26-慣れで見ることまで省略してしまった】

 毎日やっているらくだプリントで、今は因数分解をやっています。(学校の授業で3年生も今まさにやっているのを見ていると複雑・・・)

 

 さてですが、その中でも公式を利用して因数分解するところがありました。先に

a^2 + 2ab + b^2 = (a+b)^2

の形を先にやってから次に

a^2 - b^2 = (a+b)(a-b)

の形をやりました。ですが2つ目の方の公式がメインのプリントの中に数問ですが1つ目の方の公式の問題もちりばめられているプリントがありました。例えばですが、

4x^2 - 9

4x^2 +12x + 9

といったような並び方がされていました。こんなもの一目瞭然で明らかに違うぞと思うでしょう。ですが2つの問題とも

(2x+3)(2x-3)

とまさかの回答をしてしまったのでした(笑) なぜ間違えてしまったのでしょうか?

 

 1つは予測していなかったからでしょう。実はやる前にプリントをしっかり見ていないですが、それでも実はこのようなひっかけ問題があるのではないかと予測していました。ただそれはあっても問題の後半にだろうと思っていたのです。しかし前半から出てきたのでした。実際、後半にあったこのような問題は気づいて正しくやれていたのでした。

 

 しかしそれ以上に考えさせられたことは、そもそもの話ですがこれを間違えたという事実です。「見間違えた」ということなのでしょうか?そうではないのです。だって見ていれば気づくはずだから。つまりは見ていたようで「見ていなかった」のです。4と9の2つの数字を見ただけで判断してしまったのです。そして解くことのみを考えていて前の問題の記憶もなく気づかずに通り過ぎてしまったのです。

 

 やり慣れていないことであれば注意力も生まれてきっと気づいたでしょう。慣れてしまうと経験でやってしまいがちになり問題を見なくなってしまう。これは簡単に解決させられそうに見えて意外とやっかいなことのような気がします。