背理法は思っているよりは難しいものみたいだというツイートを見ました。
背理法とは違うであろうことを成り立っていると仮定した上でその仮定のもとで考えていくと矛盾が生じるから仮定しなかったことが正しいというものです。
ちょっと背理法の難しさのことを考えてみようと思います。僕なりに考えて背理法は簡単だけど難しいものだと思います。
(背理法にいいイメージだけを持ちたいという人は次の段落だけを見てその次は飛ばすといいでしょう。)
まずは簡単だといえる話から。背理法を学校で習うのは高校に入ってからです。ですが実は背理法を習う前から誰もが実は背理法を利用しているものがあるのです。
それは「迷路」です。懸賞ありのパズルの本や二コリの本に迷路が載っていますしもっと簡単な迷路でもいいでしょう。
迷路には分岐路があります。そのどちらがゴールにたどり着くか一目で分かれば苦労しませんが分からないので手が止まります。
そうなった時にどうするでしょうか?こうしていませんか?
それは、行き止まりになりそうな方を選んで進んでみて、行き止まりであれば選ばなかった方が正しい道だと判断して進むという方法です。
これがまさに「違うであろうことが成り立っていると仮定した」わけです。背理法と知らずに駆使しているのです。
では今度は難しいといえる話を。ではこのやり方で、本にある迷路ではなくリアルでの迷路だったらどうでしょうか?このやり方はおそらく難しいでしょう。
本とリアルの大きな違いは全体を把握できるかどうかにあるのです。さっきの本での話では「行き止まりになりそうな方」が予測できたことが大きいのです。
実際に数学の背理法を使って解く問題でも同じです。問題文に「~が成り立たないことを証明せよ」というのが一般的で、「成り立たないこと」が見えているのです。
その上でどのように考え進めていけば矛盾することが生じて結論を導き出せるかを考える必要があるのです。のでやり始める時点で、本でやる迷路の分岐点のように全体を俯瞰する必要があるのです。
このように背理法というものを捉えてみるとこれまでとは違った捉え方ができるのではないでしょうか。