将棋を知っている自分ですが、将棋で最近やっていることがあります。それは女流棋士の香川愛生さんがYouTubeで最近配信し始めた1日1問の詰将棋「今日の3手詰」です。
3手詰めの詰将棋で1問なので3分程度の短い時間でいい具合に頭の体操になります。3手詰めなので始めたばかりの人でも考えることができます。
今は日によって見る時間がバラバラですが、日々の習慣として決まった時間に組み込んでやってみようと思っています。
池下駅の近くに仲田商店街という商店街があるのですが、たまたま商店街の夏祭りに出くわしました。せっかくなので歩いて回ってみました。
商店街があること自体は、高校がこの場所の近くだったので知っていたし自転車で何度も通ったことはありました。
今池・池下の間の大通りと商店街の道沿いの2か所に広がっていたのですが、大通りの方は歩道に店が出ていて、よくあんな狭いところでやるもんだと思ってしまいました。
そして、どちらの部分も共通で商店街として催しているからなのもあってか、飲食や遊びの出店だけでなく、ハンドメイドやら商店街にある店のものや、さらには警察署も白バイの展示をしていたり。
熱田まつりみたいな大きい祭りとはまた違った様相を呈した祭りで、出店の種類の豊富さや楽しんでいる子どもや店を出しながら自分たちも飲んで楽しんでいる様子を見るだけでもなごみました。
それに歩いてみると高校の頃には知らなかった店舗がいくつもありました。池下や覚王山あたりは歩いてみるだけでもおもしろいところなものですね。
世の中に「黒歴史」という言葉があります。なかったことにしたい、誰にも知られたくない出来事のことですね。
僕にも小学校から今に至るまでのそれぞれの段階に黒歴史と思うような出来事があります← 今だから話せることもあればいまだ人に話せないものもあります。
ところでどうして黒歴史が生まれるのでしょうか?(笑) もちろんその出来事が起きたからというのも間違っていないわけではないでしょう。
しかしそれは本質的ではないのだと思ったのです。
黒歴史を作り出している、というか黒歴史と自分で認定してしまう要因は現実の自分と理想の自分、あるいは「一般的な人」の大きな乖離によってなのではないでしょうか。
例えばいつも冷静だと思っている人が緊張する場面でテンパって普通ならしないことをした、みたいな。あとお酒の失敗とか(笑)
ただ、さっきも書いたとおり自分で作り出しているだけなのです。理想の自分もですし、「一般的な人」も自分で作り出しているわけです。
そう考えると、現実の自分をそのまま見れば解消されるのではないかと思いました。やがて黒歴史を話せるようになるということがあります。
それは相手との関係や時効ということもあるのかもしれませんが、自分の中で理想が高かったということが無意識にでも思えた時に話せているような気がします。
・・・ちなみに黒歴史という言葉の生まれは調べてみると、アニメ「∀ガンダム」の太古に封印された宇宙戦争の歴史のことを指すものみたいです。
それが転じてなかったことにしたい出来事のことを黒歴史というようになったとか。
寺子屋塾の井上先生にオススメされた映画『えんとこの歌』を見てきました。
この作品は遠藤滋さんの生活を撮ったドキュメンタリー作品ですが、「えんとこ」とは「遠藤さんのいるトコ」であり「縁のあるトコ」です。
遠藤さんは1947年生まれで、生まれてまもなく脳性麻痺となりながらも、障害を抱えながらも養護学校の教員となります。
ですが、寝たきりの生活になり介助者を常に必要とする生活を送ることとなりました。
そんないろんな若い人が出入りしてのやり取り、それから遠藤さんが人に支えられながら短歌を作る生活の様子がまとめられています。
ドキュメンタリー作品ではあるわけですがテーマは何かと問われると難しいです。なぜなら人によって見方が違うだろうからです。
ある人には福祉の作品であればある人には人情についての作品、また別の人には音楽や文学の作品と思うかもしれません。
個人的には福祉の作品という見方が強かったですが、それでも遠藤さんが若者に支えられながらもその若者に人生を説く場面が心に響きました。
この作品のように生きる様子を撮れば作品になるように、一人一人の人生もどのような人生であれそれは1つの作品であるのだと改めて考えさせられました。
人は皆、この一分一秒さえ作品を作っているわけです。
足をケガしていますが、歩くこと自体はだいぶ普通に、ほかの人と同じように、歩いている様子ではケガしているとパッと見では気づかれないようになってきました。
ですが、良くなってきてもいまだに天敵とも言えるものがあります。階段ではありません。
それは「点字ブロック」です。どうしてかというと、ケガしている方だろうが健常な方だろうが、片足が点字ブロックに乗ると左右に高さの違いができるのです。
それに良くない力のかけ方をすると患部を痛めてしまうので足元のバランスがとりづらくなりもするのです。
点字ブロックは目の不自由な人を助けるためのものですが、人によっては障害物にもなっているものなのですね。
点字ブロックを否定する気持ちはないのですが、「誰もが便利なもの」というのは難しいのだと思ったのでした。
週2回、毎週足のけがのリハビリに通っています。毎週その2回を火曜日と金曜日にしています。
どの曜日でも行く時間は作れます。ですがこの曜日にしようと思ったのは子どもの頃に通っていた公文も週2回であり、それが火曜日と金曜日だったのです。
そのため自分の中ではバランスが取れた配分にも思えているし、真新しい習慣にもという感じはなく、普通な感じです。
子どもの頃の習慣というのは思っている以上に体に染みついているものですね。
以前投稿したことでもありますが、知らない電話番号からかかって、それは参議院選挙の情勢調査でした。
それだけでも妙なことだなと思ったのですが、また知らない電話番号からかかってきました。
情勢調査の時の電話番号とは全く異なっていたので今度は何だという気持ちで調べてみました。
すると今度の正体は金融業者詐欺でした!こわいこわい。(050-5306-2973)
知らない電話番号からかかってきたら調べてみるべきですね・・・。
一昨日の投稿の正体ですが、ニュースで世界規模で報道されてもいる、京都アニメーションの火災のことでした。
最初はあまり情報開示されていませんでしたが今では容疑者の名前までニュースで開示されるようになりました。
ですがこの名前のこともそうですが、どうもツイッターの様子をサーチすると、報道前に憶測で名前を挙げているツイートがありました。
それだけでなく、命が奪われたことへの悲しみから、アニメ作品・監督への思い、自分にできることや募金して力になりたいというようなツイートもありました。
ですが、容疑者についての憶測、今後のアニメより命のことをいたわるべきだとか、犯人への怨念や許さない気持ち、
報道関係者の対応がよくないとか建物の防火・セキュリティ対策がどうとか、Youtuberの投稿に対する非難まで飛び交っていました。
僕としてはどの意見が正しいというわけではなく、人によってどのような見方も一理あることだと思って眺めていました。
さて今回の事件、事件そのものでも大きな悲しみに見まわれているのですが、見ている人はツイッターによって苦しんでいるのもあるとツイッターの様子を見ていて思いました。
ツイッターというのは自分で入ってくる情報量を調節できるようで難しいのではないかと思います。
それまでは大丈夫でもその次のものを見たら重いことや過激的なことが書かれていることもあるわけです。
見た瞬間にその情報は入ってきてしまうので、「もう見ない」と決心した時にはすでに心に大きなダメージを受けているわけです。
アニメ好きはツイッターから情報を得ている人が多いだろうから一層被害者が多いのでしょう。
この様子を眺めていた時にふと思ったのがアニメ「PSYCHO-PASS」。
あのアニメの中でこのようなことが起こったら、これまたストーリーが作れてしまうほどのパニックを作り出せてしまうと思ったのでした。犯罪係数爆上げでしょうね。
とあるニュースを見て非常にショックを受けました。(ヒントはタグに関連すること)
今日このことについて書き始めると感情が抑えられなくなりそうなので、また後日書こうと思います。
心よりお悔やみ申し上げます。