気分やさんの気ままなブログ

【自分がファシリテーション・コミュニケーションにこだわっているワケ】

 昨日、ブログを書きながら「どうして自分は今ファシリテーションやコミュニケーションにこだわっているんだろう?いかにして興味を持ちだしたんだっけ?」と思ったのです。ファシリテーションに関しては、大学の時であれば企画を行いグループワークもざらにあったの身近なものでした。が、今はというと授業は行っているわけではなく会議に参加することもないので別にファシリテーションを活用するような場はよほどないのです。なのにどうして今でも追い求めているのか?ということでいろいろ思い返してみることにします。

 まず大学でGIに入って企画を練り行うようになりました。これがスタートであるのは確かです。企画を行っていくうちに参加者の視点、参加者の立場に立つことを意識するようになりました。やがて「学習環境デザイン」というものの存在を知ることになり空間づくりをこだわるようになりました。ワークショップにもかかわるようになりました。ここまではファシリテーション・コミュニケーションという言葉に共に縁がありません。それからでしょう。GIのセミナーでグループリーダーを務めるようにもなってグループの人たちに学びを得てもらいたい、めっちゃ考えてもらいたい、と思ったんだと思います。そこでファシリテーションというものに食いついたのです。これが大学3年の時。そして昨日のブログのようにいつしかファシリテーションがコミュニケーションの話になってきてたんですよねー。ここの間を解き明かしたい!

 この頃からだと思いますが、グループでの話し合いの上でこだわりをもったのが場の雰囲気なんですよね。そう、それでファシリテーションを学んだ時にファシリテーターというのはリーダーでも仕切る人でもないと考えるようになってから、グループがいい雰囲気の時は自分も自分らしくいい感じになっていて、その時自分はどういう風かというとそれこそリーダーでなく中からかき回したり矢を放つという立ち回りを意識するようになったんだった。そして立ち回りの柔軟性を求めるようになった。この立ち回りに融通をもたせたいと思い始めたのがコミュニケーションと同化してきたような気がします。じゃあこういう立ち回りをするためにはどこでどういう発言をすればいいか?、こういう立ち回りだったらどうか?、ああこれっぽい!これが発言だけじゃなくていわゆる非言語レベルのコミュニケーションも意識するようになったんだった。この考え方がグループでの話し合いレベルから1対1の会話レベルでも考えるようになったんだった!1対1の形でも考えたのは、GIで類人猿診断をやって、自分と他の人それぞれの関係をタイプごとに考えてみたからか。そんでもって、インタビューゲームというコミュニケーションワークにも自然にのめりこむことができて惹かれたんだ!そして今ではファシリテーションとコミュニケーションが同化している部分があるわけで、グループで話し合う場はなくてもコミュニケーションは行っているからファシリテーションにも未だ関心が強いんだ!

 

 疑問の答えも見えたし、何より今までの自分のことも振り返れたからよかった~