気分やさんの気ままなブログ

【「らくプリ」その11ー多ければいい・あればいいとは限らない】

 情報、というものは多いほどありがたいことがある反面、過剰にあったり余計だったりすると困るものです。例えばあることについて調べようとしても多すぎるとこれというものにたどり着くのには時間を要することがあります。それから雑誌やチラシでもいっぱい様々なことが書かれていてはどこに目を向ければいいのか困ることとなってしまいます。そういった意味では環境デザインという領域でも同じように言えます。中学校に勤務をしているからこそ思いつくことですが、教室に掲示物を濃い色のものを大量に作成してしまっては生徒の学習の妨げとなってしまいます。

 

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 今日やった2枚のプリントは、たった一つ情報がついているかどうかですがまさしく余計な情報と感じたのです。37番と書かれてある一番上の部分が1枚目、その上に乗っている38番のプリントが2枚目にやったプリントです。それぞれの1行目を見てもらうと「÷○」というヒントがあるかないかが違うだけの、全く同じ問題なことに気づくと思います。(そうだとは見た時は気づかず、やりながら気づきました←) やってから、だったら分けてやればよかったー、なんて同じだと気づいた時には思ったのですが最後までやった時にはやってよかったなと思ったのです。それが約分をする数が書かれているか否かについてなのです。時間が早くなったというのは慣れが生じたからというのがあるので一概には言えないのですが、やっている時の感触が大きく違ったのです。このプリント、約分する数が2、3、4、5・・・、と順に大きくなっていきます。だから別に「÷○」なんて書いてなくても分かるのです。しかし、書いてあるとそれ以上に弊害があったのです。「÷○」を見なくても分かるのに書いてあるとそれを見て合っているかどうかという不必要な確認をしてしまうのです。視線誘導(ミスディレクション)ってヤツを受けているのです。手品とかで使われる技術ですね。それから分かる人には『黒子のバスケ』(笑) 予期せぬ時に急に出てくると反射的に目が移ってしまうのです。まさか算数の計算プリントで情報やデザインを考えることになるとは思いもしませんでした。

 

 ・・・と、デザインという言葉が出てきたが、明日の投稿のテーマが今日の内容を受けたもので決まった(笑) Facebookで投稿したことがある内容だけどリライトしようと思います。という珍しい次回予告(笑)