このシリーズを初めて読む人へ
これを書こうと決めたのは特別な経験になりえて考えることも普段では考えない部分もあるからということからです。
一方で僕自身は濃厚接触者ということで感染した当事者がいるわけですが、それについては本人のプライバシーもありますし、僕自身についてもプライバシーの露出は怖く思う部分もあります。
そのため僕自身の事実や僕が考えたことを書きますが、プライバシーに関わるような過度な詮索や憶測はモラルとして控えていただけるとありがたいです。
聞きたいことがあれば質問は構いません。また、あくまでも僕一個人の事実・考えなので、ほかの場所・ほかの人でもそうとは限らないので絶対的なものとして参考にはすべきではないと思います。
(そのためこの情報の二次拡散についてはオススメはしません)
事実についてもある程度の参考になればと思って書いています。
そのためできる限り事実と考え・感情については分けて書くことを心がけます。
7月17日
今年のこれまでのF1をひたすら見続ける
起床や食事、らくだプリントなどといった習慣としているものは省略しています。
今日はこれといったことは特にしなかったのですが、いつかまとめて一気に見ようと思っていたF1を見ることができました。
これまでに9戦が行われていて、第5戦のモナコグランプリまで追いかけることができました。
それにしても「ここはモナコモンテカルロ、絶対に抜けない!」ですね。
明日には追いつけるかな~。
それと昨日のブログを書いた後のことですが1つ考えたことがありました。
0・1日目の日記にコロナに関しての考察について他人事だったから考えが揺らいだと書きました。
ですが書いていてどこか違和感というか消化不良みたいなしっくりこなさがありました。
ぼぉっと物思いに更けていた時、何をもって自分で他人事と思っていたのかが下りてきました。
それは他人事と思ったことは客観的なことだったということです。それに対して実際に濃厚接触者となって考えが揺らいだのは主観がそこに入り込んだからだと言えるかと思います。
そして他人事という言葉で考えていた時には「悪い」という評価、言わばこれも主観が入っていたことでより混濁していたわけです。
それが客観と見なせたことで箔をつけることなくありのままに見ていたものと再認識できました。
そして客観に主観が入ったことを最初は考え方として適していないと思っていたのですが、改めて考えてみるとそれは至極当然のことなのかもしれません。
例えば将棋における解説のことですが、「Aの手はいい手なのでしょうが指せないですね、Bの手の方が実戦的に思います」というようなことが言われることがあります。
客観的な検討としてはAの手の方がいい手なのですが、それはじっくり時間をかけて読み切らないと確証を持ち切ることができない手なのです。
しかし実際の対局というのは制限時間があり、勝ち負けで今後がかかっているのです。
そのような状況の中ではAよりも読みやすいBの方が現実的だということです。
それはつまりは客観より主観が上回ったわけです。
それでもAの手を指すことができて勝ち切ると将棋界で大きな話題となるのでしょう。
ドラマチックな演出となるのですから。
そう、つまりはアニメとかドラマで人にうけるメカニズムの1つがこれなのでしょう。
話が逸れましたが、つまりは客観だけで行動が定められたら苦労はない、客観だけでなく主観も入るからそのバランスを取ることが求められるのだろうなと思いました。