昨日の投稿の続きです。(昨日の投稿は↓コチラ)
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
今回の本『プレイフル・シンキング』を買ったのは当日の数日前でした。その上あらかじめ読んだのも休みの日ということで日中に半分程度読んだ状態でした。
そのような完全に読み切っていない状態でしたが、それよりもほかの人とこの本を介して交流することで生まれるものに期待が高まっていました。
最初の方にこの本の言いたいことを確認し合うタイミングがありました。自分は今の状況もあり昨日の投稿のように「働き方の本」になっていました。
でしたが、ほかの人から働き方に限らず生き方についての本でもあると付け足されて、これも見方だな~、って思いましたよね。
やっぱりほかの人と読む方が広がりますね。
本をある程度読む時間を取った後に、読んでみてみんなで問いを立てて、その問いをテーマとして話し合いました。
一つ目が「省察をする習慣を広めるためには?」でした。
その中で投げかけられたのが、記憶する中で一番最初にした省察はいつというものでした。自転車の練習などが挙がりました。
自分は何だったろうなって思い返しましたが、はっきりとこれが記憶している省察だと言えるのは公文式に通っていた時のことですかね。
高1で高校教材を修了した時に3年前は作文で「雲をつかむ話」だとまだ思っていたなとかあの時は大変だった・楽しかったなとか今までのことを振り返ったことです。
ただそれより前にも省察といえる出来事もあるような気はしていますが。
いずれにしても省察というのは現在を原点として時間軸と空間軸とを複合的に振り返ってリンクづけしているものにあたるなと思いました。
もう一つの問いは「プレイフルな状態を保つため・取り戻すために意識していることは?」でした。
自分はこの問いが出た瞬間にまさに省察だと思いました。
ただ省察するためには省察できる状態である必要があり、やめてみる・止まってみる、心に余裕をもつ、余白を作る、といったことが出ました。
(「余白」の話が盛り上がって、これについても書こうと思ったのですが、また膨大になったのでまた明日の投稿に回します(これは想定外でした笑))
逆に余白なんて一切作らず、マグロのようにいつも「はい、よろこんで!」精神でやっていた時があったという人もいました。
中庸と言われるようないいバランスって思っている以上に様々なのかもしれないと考えさせられました。
そして読書会を通して思ったことは、この会自体がプレイフルだったなということです。
本当にこの本の読書会をいろんなところでやりたいほど。
じゃあ同じようにやればプレイフルなものになる、ってはいかないんですよね~きっと(笑)
このプレイフルな体験を「省察」することでプレイフルになっていた本質が見えてくるわけですよね。