【連続投稿5日目 2123投稿目】
【作成日時:11/27 25:15~25:50、35分】

昨日の投稿でも予告がてら書きましたが、内省と反省の違いについて考えてみようと思います。
どちらも省みることには変わりありませんがよくいわれる違いとしては、反省は自分の悪いところを考えることに対して内省は在りのままに自分のことを捉えることだといわれます。
反省には良い悪いが伴うのに対して内省には伴わないともいえるでしょう。
それから反省は行動や出来事を振り返ることを通して改善していくことに対して、内省は自分自身と向き合い自己理解すること、ともよくいわれます。
そのようなことからも改めて内省と反省の違いを考えてみた時に思ったのは、それぞれが目指すこと、目的が異なるものだと思ったのです。
反省が最終的に目指すことは改善です。
それに対して内省が目指すことは自分をより深く知ることです。
このように考えると内省は別に改善するためのものではないといえます。
では内省をしようとしていながら気づいたら反省と成り替わっている時にはどのようなことが起きているといえるでしょうか?
内省から反省に成り替わるとは目指すことが自己理解から改善にすり替わってしまっていることです。
つまり気づいたら改善することを考えた時に自分はどのような思考でいるかということです。
反省は行動や出来事を振り返りますが、改善の糸口が見えたところで振り返ることが止まり改善することを考え始めます。
それに対して内省は振り返ることを止めずさらに自分の内側をのぞこうと深く潜っていきます。
このことから内省から反省に成り替わった時を考えると、自分を深く知ることを止めることなくし続けようとしていたはずなのに気づいたら止めている、そういえるのではないでしょうか。
とはいっても内省していても考え方が改まって、何か改善することが浮かぶことはあるものです。
だとしたら適切な改善が湧きおこるプロセスというのもあるのではないかと思ったのです。
そのようなものがあるとすれば、それは自己理解している中からふと自然に思い浮かんだというものではないでしょうか。
そのように考えてみると、内省から反省への成り替わりとの違いは改善に自分の意識が向いているかどうかだといえるはずです。
そしてこのことからいえることは、内省をするにあたって大切なことは改善しようという意識を手放すことなのでしょう。
内省しようと思っていても改善の意識を手放さない限り浅い自己理解で止まってしまうわけです。
よって内省しようという時には、もし改善の意識があった時には、そのことに気づき、一旦脇に置いて、再び自分を見つめることが大事なのでしょう。
改善の意識がある時には良い悪いを考えてしまってもいるのでしょうね。
そういったことに気づかない、気づきにくいので、内省が反省に成り替わる、あるいは反省となってしまっていることに気づかず内省できていると錯覚するのでしょうね。
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