【連続投稿49日目 2088投稿目】
【作成日時:10/15 24:49~25:25、36分】

昨日は国語に関する世論調査の結果から誤って使われていがちな慣用句についてを紹介しました。
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それともう1つ注目したくなった部分がありました。
それは言葉の使い方に対する意識についてのことです。
慣用句の部分以外については年度によって質問内容が異なっています。
この言葉の使い方に対する意識については、調査に採用されている年もあれば採用されていない年もありました。
また採用されている場合でも1つ1つの質問では異なる質問となっていたりしました。
今回の内容については最も最新である令和6年度の調査にあったものとなります。
その質問はまず、普段自分自身が言葉の使い方についてどの程度気を使っているかという質問でした。
「非常に気を使っている」「ある程度気を使っている」「余り気を使っていない」「全く気を使っていない」の4択から選ぶようになっていました。
さらに「非常に気を使っている」「ある程度気を使っている」を回答した人に対しては、普段どのように気を使っているかという追加の質問がありました。
それも選択肢があり、11とその他から選択するようになっていました。
選択肢も含めた結果はこのようになっていました。

選択肢の内容を見てもらうと分かりますが、人に対する敬意に関するものもあればネットリテラシー、相手に合わせた言葉選び、文化、など様々です。
ただいずれにも共通していると思ったことがあります。
それは何かしらの「いいことである」の上でということです。
言葉遣いを選ぶことがいい、感情的にならないことがいい、適切に判断することがいい、といったものではないでしょうか。
それは気を使っていない側に対しての追加の質問がないことからも感じたことです。
この言葉に対して気を使っているかという質問を見た時に思ったことは、はたしてとても意識していることが本当にいいことなのだろうかということです。
インタビューゲームをやると思うことですが、言葉に気を使いすぎて聞いていると時に話し手の思っていたこととズレていたということがあるのです。
そもそも言葉というのは完全なものでなく曖昧さがあるということが前提にあり、言葉のツラだけでは相手の真意は理解できないのです。
まさに昨日の慣用句の誤った理解の話で、話し手は誤って使っている一方で聞き手は正しい意味を知っていたという時に慣用句どおりの意味で受け取ってしまえばズレるわけです。
むしろ聞き手がそれまでの話の流れから考えればどのような意味で話しているか、あるいは正しい意味では使われていないから確認しようということになれるのです。
ですから時として言葉に気を使うことがコミュニケーションの妨げともなりかねないと思ったのです。
なので「ある程度気を使っている」ぐらいが僕としてはちょうどいいところなのではないかと思ったのです。
というよりも「言葉に気を使う」ことと「言葉のことを考える」ことは大きく異なることだなと思いました。
それなら僕は「非常に考えている」にあてはまることでしょう。
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