【連続投稿10日目 2049投稿目】
【作成日時:9/6 24:55~25:27、32分】
数学が難しいものだと思う理由として考えられることはいくつかあります。
そのうちの1つが話の入り口である公理や定義自体を疑ってしまうことです。
ですがこれは数学に限らずどのようなことにおいてもいえることでもあることだとも思っています。
公理とは簡単にいえばそもそもの設定にあたります。
たとえば当たり前のように使っている1、2、3、・・・という数字は自然数という数でありこれによって数学はなされています。
このように数が決まっているのは実は「ペアノの公理」というものによることです。
これに対して「なぜ1の次は2なのだ?」なんて疑問をもっても仕方のないことだというわけです。
本当にそれが正しいかどうかを吟味するためには、その考え方の上で分かることを突き詰めていった先で矛盾することが出てくるかどうかを確かめることです。
数学の内容の中で背理法というものがまさにこのことです。
実際、1、2、3・・・という数を使っていて何ら辻褄が合わないことがないから疑うことなく受け入れられて使っているわけです。
逆に数学の歴史の中には定義自体が疑われてしまったものも実際にあります。
それが「0」です。
0という数は地域によって起源が異なり、それが統一されて「0」とされたものになります。
それは早い地域では1500年以上前には生まれていましたが、統一されたのはそれから700年以上も先のことです。
それほどにも長い年月がかかった背景には「0」という数が受け入れられなかった人たちもいたからだといわれています。
公理や定義を疑いそうになる時というのは人によっても異なるでしょう。
早い段階から疑う人もいるかもしれませんし、かなり進んだところでふと疑い始める人もいるかもしれません。
総じていえるのは、それが当たり前だと思えている限りは疑わないですが、難しくなって理解できなくなってきた時に疑うということが起こりえるようになるのではないかと思います。
かくいう僕も突拍子もない仮定から始まる数学を見ると「それってどういうこと?」という疑問が転じてその仮定を疑ってしまいそうになることがあります。
そこでふと仮定を疑ってしまっていると気づけばいいですが、気づくまでにそれなりに深みにはまってしまっていたということも経験があります。
そして最初にも書いたように、何もこれは数学に限った話ではありません。
前にも本を読むということについて書いた投稿がありますが、これもまさにという話なので改めてこちらに載せておきます。itasan-kibunyasan.hatenablog.com
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