【連続投稿17日目 1901投稿目】
【作成日時:(昨日の投稿と合わせて)4/8 17:43~18:14、20:47~22:09、113分】

昨日の投稿の続きになります。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
昨日はストリートピアノの問題を引き合いに"パブリック"と"コミュニティ"の捉え方について違いうることを書きました。
このような考え方について深めようとしてみたところこのような記事が見つかりました。
www.hoshikatta-kurashi-lab.com
この記事ではコミュニティという言葉に代えて”コモンスペース”という言葉が用いられていました。
パブリックスペースの解釈についてはこの後に書く受容の話の部分で異なる部分はあるのですが、どちらが正しいと見ず照らし合わせてみるとより見方が多様であることが実感できるのではないかと思います。
ということで今日はこの”パブリック”か”コミュニティ”の捉え方でストリートピアノに関しての受容のあり方がどのように変化するか考えてみましょう。
先に”コミュニティ”の方から考えてみます。
こちらの場合は「郷に入っては郷に従え」です。
ストリートピアノもコミュニティが設置しているものですから、コミュニティの意向次第であり、コミュニティに属する人はこの意向を受け入れることが求められるでしょう。
そして利用者も、コミュニティに属さない人だとしても、コミュニティに属するピアノを利用する以上はコミュニティの意向を受け入れることが筋が通った話となるのではないかと思います。
(といってもその”意向”が曖昧なもので人のあいだにズレが生じるのですが)
「受け入れる」という言葉を使っていますが、これは「従う」という言葉に言い換えられますね。
一方で”パブリック”はというと、人もピアノもその場にただいる・あるだけです。
ピアノは誰のものでもありません。
そうなると「ピアノがただある」ことを受け入れるよりほかありません。
つまりピアノの音が聞こえている人もただいるだけになります。
たとえそれが耳障りな演奏だからと演奏している人に文句を垂れても演奏者は「どんな人でも使っていいものなので」ということになります。
このようなやり取りは平行線をたどるだけです。
ではどのようにして打開できるかというと、ピアノがただあるものであると受け入れるよりほかないのです。
「ただある」というパブリックの概念を受容することです。
逆にいえば受容できないのであればほかの場所を選ぶべきでしょう。
しかしパブリックの元では「在るもの」を受け入れて活かすほど豊かな空間となっていくでしょう。
今回の1件はストリートピアノに対してこの”パブリック”と捉えるか”コミュニティ”と捉えるかが人によって異なっていたことが背景にあったのでしょう。
どちらが正解という話ではないと思うのですが、まずこのように捉えうることを念頭においた上でストリートピアノの位置づけを考えることが大事ではないでしょうか。
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