【連続投稿16日目 1900投稿目】
【作成日時:(明日の投稿と合わせて)4/8 17:43~18:14、20:47~22:09、113分】

昨日の言葉の曖昧さにも関わる話です。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
もうSNSでの議論の熱は収まったのではないかと思うのですが一時期、通りかかった人が弾くためのストリートピアノの設置についての賛否の意見が行きかっていました。
簡単に紹介すると、公共の場に設置されていたストリートピアノの利用に対して(聞くに堪えないものだったのかは分からないですが、演奏が不快に感じたであろうことからか)「練習は家でしてください」と自由な利用を抑制する呼びかけをしたことで賛否の嵐となりました。
(詳しいことが知りたい人は「南港ストリートピアノ」で調べてみてください)
正直、どのような形であれこの話題を引き合いに書くこと自体がこの議論の土俵に上がることでありいかがなものだろうかとも思う面もあるのですが、是非とは別のところにフォーカスを当ててみようと思います。
僕がこの話題について知ったのは、大曽根で関わりのある知人のXでの投稿からでした。
そして最初に知った投稿をした人とは別の知人がした
これって公共性というより受容性の問題じゃないですかね。
— TAKE / 名古屋でまちづくり (@NGO_cent) 2025年3月28日
公共は「誰しもがある程度自由に、快適に過ごすこと」が命題であって、そこで営まれる行為の快適性や自由の程度は、一人ひとりの受容性によって左右されるでしょう。
現代人はその受容性が低いな、と感じることはよくあります。 https://t.co/VJHIbp4ZIS
という投稿に深く考えがいのある問いかけがあったことからでした。
TAKEさんの投稿にある「公共性」と「受容性」はまさに考えるキーワードであり、この問題を冷静に見る重要な観点になると思いました。
最初に僕が考えた結論を書いておくと、受容の態度は"公共"の捉え方によることではないかと思いました。
「"公共"(英語でいえば"パブリック")の捉え方による」というのは、つまり昨日の曖昧さのようにいろいろな捉え方があるというわけです。
”公共”(”パブリック”)に似た言葉で”地域”(”コミュニティ”)があります。
このような言葉を選べば異なる表現ですが、もっとくだけた言葉を選ぶとどちらも「みんな」といえますよね。
するとますます違いが分からなくなってくると思うのですが、さてパブリックとコミュニティの概念の違いは何なのでしょうか?
前置きとして、ここからの言葉の捉え方は辞書や社会の定義がどのようであるかというわけでなく、1つの見方としてこのようなものがあるのではないかという考えられうる見方を提示するにすぎません。
ですからこれが正論であるというわけではなければ何かに書かれていることではないものとして受け取りながら読んでもらえたらと思います。
1つの捉え方としてその言葉の中にいる人がどのような人であるかに違いがあるように思います。
”パブリック”は、日本語からすれば”おおやけ”であるようにその場をただ通りかかっただけの人までもが含まれる人という見方ができるように思います。
別の言い方をすると、その空間は誰のものでもなく”ただある”だけの場で、そこに人がいるという状態です。
それに対してコミュニティはその場または集合体と人に関係性があります。
その地域の中で生きているとか、コミュニティに所属している、コミュニティに関わりがある、という感じです。
ですから地域に属さない人については”ヨソモノ”という表現が当てはまります。
それに対してパブリックにはヨソモノもウチワもありません。
全員がそこにいる人です。
さてその上でこの違いが受容することにどのように関係するかについては明日に書こうと思います。
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