【連続投稿16日目 1899投稿目】
【作成日時:4/7 16:05~16:44、39分】
ここのところ4月に入る前の投稿が続いていますが、今回も先月のことになります。
1週間前に「珈琲と対話会」というイベントに参加しました。
https://hirakegoma010.peatix.com/
このイベントは深見太一さんが『事例とQ &Aでわかる!みんなでやろうクラス会議実践ガイド(学陽書房)』を出版し、若杉逸平さんが『対話について対話しよう(ほんここ舎)』を出版したことにちなんだイベントでした。
参加者のみなさんで対話をしたイベントとなりました。
そのイベント中に参加者の1人から「「対話について対話する」ということがよく分からないのですが、どういうことですか?」という質問があがりました。
ここからはイベントそのものの話からは脱線してしまうかもしれませんが、ここに言葉とは何かを考えるにうってつけの問いだなと感じました。
「対話について対話する」この字面を眺めている間は捉えられないのではないかと思います。
対話が分かっていない、にも関わらず分かっていない対話をしようとしている、というような構造と捉えるとそれは矛盾、パラドックスとなってしまうことでしょう。
しかしこのパラドックスの正体は2つの「対話」という言葉を全く同一のものと捉えていることにあるのではないでしょうか。
ですがこの2つの「対話」という言葉は本当に全く同じ扱われ方をされているのでしょうか?
先に僕が思う結論をいうと、最初の「対話」は目的であり、後の「対話」は手段です。
目的というと分かりにくいかもしれませんね、話のテーマです。
言い換えれば「対話という手段をとって対話という概念を考えてみましょう」となるように思います。
すると、分からないながらもその人が思う対話によって対話が展開され、対話したという行為を通して対話の概念を考えることになります。
もっとも一人一人の捉えている対話は異なるので、それが入り混じって新しい発見を生み出すものともなるでしょう。
こうしてその人にとっての対話という言葉の意味が積み重ねられていきます。
言葉というものがいかに曖昧なものであるかを考えられる話ですね~。


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