【連続投稿107日目 1747投稿目】
【作成日時:11/3 17:50~18:52、62分】
定点観測という取り組みを行っていて、月に1回はオンラインで一緒にやっている人同士で取り組んで気づいたことを共有する機会があります。
その中で、やらなかった日があったという話がありました。
それはなぜだったかというと、普段の生活リズムとは違って予定が立て込んでいたり、何かアクシデントがあったりということでした。
特に後者のような想定にないことが突然起こって時間がとられると、やるつもりだったことがやれずじまいとなってしまうことは、よくある話ですよね。
ただ、定点観測で取り組むことはそれでも1日のうちのどこかでやるということが大切に思うのです。
なぜなら定点観測で取り組むことというのは、「毎日やる」と決めていることだからです。
もっと正確に表現すると、定点観測で取り組むことというものは「毎日やる」ということが決まっている「前提」となっていて、その枠組の中で何を取り組むかはその人が決めていることになります。
ですからたとえイレギュラーな予定があっても、想定にないことがあったとしても、それでもいかにしてやるか考えて実行するというのが定点観測の取り組みなのです。
定点観測で取り組むと決めていることは1日の中で数多の行動していることのうちの1つ、24時間のうちのわずかな時間を使っていることにすぎません。
時間でいえば24時間、取り組むことによって多少は異なりますが、大抵は1440分のうちの1%、15分程度で済むことです。
たとえ1時間だったとしても4%程度ですね。
数字でいえばこれっぽっちなのですが、これが安直に考えていてはできないものなのです。
定点観測の取り組みを単体で考えていると、イレギュラーな出来事によってできずとなってしまうのです。
24時間の中に1つ1つの予定があり、予定がない時間にも何かやっていることがあり、そして定点観測として取り組むこともあります。
それをトータルして1日の過ごし方やスケジュールというものになります。
ですから定点観測として取り組むことは1つですが、1日という全体からすればほかにも並列していることがものすごくたくさんあります。
定点観測で取り組むこと15分を取るにしても、ほかの予定についても意識することが必要となるわけです。
ですから何かのことに意識が向きすぎて定点観測のことへの意識が薄くなることで、時間がないということになるのではないでしょうか。
大学時代の時の話です。
大学の授業だったか特別講義だったかですが、道徳教育を専門の1つとしている立命館大学の荒木寿友先生が訪問して講話をされたことがありました。
その中で印象的で今でも覚えている話が1つあります。
それは、人間関係において1人の人との距離が近づくということはそれ以外の人との距離は遠ざかることになる、という話です。
考えてみるとなるほどという話で、中学生の時はとても仲が良くてよく一緒に遊んでいたのに高校に進学して別々の学校に行くと、次第に会うことが少なくなってしまった、ということはよくある話ですよね。
それは物理的・環境的な要因もありますが、たとえば高校生活になじめなければ会うことはもっと続くことでしょう。
つまり高校で友達ができて、その子との距離感が近くなったことで、対照的に中学の友達との距離感が遠ざかったというわけです。
そして距離感が近すぎるのも場合によっては好ましくなかったりもするのです。
この荒木先生のお話しは今でも覚えている上に、普段の中で意識していることです。
この人間関係の距離感の話が1日の過ごし方の話にもまったく同じように当てはまることが分かりますか?
何かに意識を向けるということは自分とそのこととの距離感だといえるのです。
意識を強く向ければ距離感が近くなっていて、その反面意識が薄くなって自分との距離感が遠くなっているわけです。
そして距離感が遠くなりすぎた結果、定点観測で取り組むために使う時間、あるいは自分の状態のことを考えていなくて「やらない」となってしまうのです。
途中から関係性という言葉が距離感という言葉に変換されたのですが、それがまさに以前に投稿したこの話そのものなのです。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
距離感を見失ったりバランスが崩れたりすると「できない」ということにつながるように思います。
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