【らくだプリント 幼-3(続き)】
さて、このプリントの最後は上には見本があるものの、自分で書くスペースにはガイドが一切なくなりました。
いずれはこの見本もなくなり自分で数字を正しく書かなければならない時が訪れます。
つまりは、ここの部分は運筆から見ることを経て覚えるという営みをしていることになります。
数学がついていけなくなって嫌いになる人の中には、覚えること(=「暗記」)ができなくなりお手上げになる人がいることでしょう。
では数字を覚えることは(すべての人とまでは言えないものの)なぜできるのでしょうか?
それは「覚える」ことが「暗記」と呼ばれる作業だけでなく、手を動かすという身体性による「記憶」、「1」の次は「2」といった数の順番という規則性による「記憶」が起きているからではないでしょうか。
そして「暗記」に頼らない「記憶」の仕方が、数学が難しくなっていた時に力が発揮されてくることかと思うのです。
「暗記」は「記憶」する手段の1つではありますが、それは大抵「学習」する機会を喪失してしまうということを、今回は語りませんが自分の備忘録としてここに残しておくことにします。