寺子屋塾で学習していることの1つが易経で、始めてからもうすぐで1か月半になろうとしています。
毎日の取り組みとしては、
サイコロを振る
↓
卦を調べて意味を確認する
↓
サイトの説明をコピペしてグループページに投稿
という流れで行なっています。
また、寺子屋塾での易の学習会にも参加して、そこで易経の生まれや易経の表し方である八卦の成り立ちなどを知りました。
とはいってもまだ分からないことばかりです。
陰・陽の2種類が6つ(爻)組み合わさっているというのが八卦で、2の6乗で64あるわけです。
ですが爻と爻の関係についてを聞きはしたもののまだ理解できているにはほど遠い状態です。
ただ易経をやり始めて、1つおもしろいテーマが生まれました。
それは間違うことを前提に学習を進めるとどのようになるのかということです。
テキストはあって、そこに見方の説明などもあるのですがまだ読めていません。
読んでいないので正しいことが分かっていません。
ですがこうして毎日振り続けるとこうではないのだろうかと考えます。
その考え付いたことを大切にするのです。
ですがあくまで勝手に考えたことなので間違っている(素朴概念の)可能性が高いことまでを自己認識しておくのです。
いわゆる勉強というものはその時に正しいことを習得しようとしているものでしょう。
それに対して、別にいずれか正しいことに出合えればいいとしておくのです。