先週レゴを使ったワークショップがあり、そのグループファシリテーターをやりました。
その日のことは明日に回すとして、今日はそのワークショップ「レゴシリアスプレイ(以後LSP)」そのものについてのことを。
そもそもこのLSPとは何かという話ですが、ある課題解決を考えるにあたって、議論の代わりにレゴを用いて考えを表現することで共創する活動です。
各人の感性:「心」で考え、感性で捉えたことを論理で考えてみる、この相互作用が問題解決を効果的に促進していく、とのことです。
レゴには単純な四角いブロックだけでなく人や花のようなパーツ、プロペラや棒状のものなどさまざまな形があります。
さらには同じ形でも色も多彩にあり、ビビットなものからグレー・ブラック、クリアなパーツもあります。
作ったもの自体を考察するのももちろんですが、それらのパーツをなぜ使っているのか、どうしてそのパーツを(無意識ながらでも)使っていたのかという視点ももちます。
誰でも何かしら作れるという点と、作ることは目的ではなくプロセスにすぎないので作り上げたものに良い・悪いがないのが利点に感じます。
作った作品に自分の考えや価値観、観念が乗っているというわけですが、僕が通っている寺子屋塾のらくだプリントと共通する部分があると感じました。
らくだプリントの学習はプリントを解き、開始した時間とミスの数、時間を記録表に記入します。
それもプリント・記録表が自分の写し鏡となるのです。
自分という主体から乖離したことで客観的に自分を観察することができるのです。
その観察物が、らくだプリントであれば情報的、レゴブロックであれば視覚的なものという特性があると言えるでしょう。
また、らくだプリントは基本的には自己観察であることに対して、LSPは共同観察と言いますか多数の人と行なって多角的に観察するものになります。
その点は明日にイベント当日のワークショップの話を書こうと思うのでそれを読むと分かると思います。
今回のイベントに伴い打合せ段階で初めてトライしました。
最初はレゴで表現するということに抵抗感を持っていたのですが、すべては意味付けで完結するものであることが体感で分かってきてからはなくなりました。
ディープなテーマで議論した場合には息詰まることが目に見えていることには手段の1つとしてあると便利だと思います。