算数・数学で答えが分数になるものがあります。
分数が出てきた時に気を付ける必要があることの1つが「約分」です。
答えを書く時に約分しきった形(既約分数)でなければ正解と見なすことができません。
そういったミスは特に初めて分数を習う小学校の段階にありがちかと思いますが、「約分忘れ」という言葉がむやみに横行していないかと思うことがあります。
僕はこの「約分忘れ」という言葉が曖昧に感じるので好みません。
なぜかというとそのミスは約分を見逃している場合とそもそも約分の存在を忘れている場合があるからです。
あくまで言葉の使われた方の問題ではあるのですが、ですが約分を意識はしていたにもかかわらず忘れていたふりをしてはいないかとどこか思います。
つまりは自分に起きていた事実と振り返った分析が不一致しかねないのです。
それはできない自分に向き合いたくないというマインドが生じてないかなと思うのです。
そういう点では「約分ミス」の方がミスと的を得ている言葉のように思います。
逆に、約分というものの存在を忘れていて、だけど先生に言われた時にちゃんと約分を意識していたふりの方もあると思います。
それもあって約分がまだできることを指摘する時には、公文でスタッフをしていた頃から「何かまだできることはない?」と問いかけています。