昨日、寺子屋塾で半年に1回開かれる「寺子屋デイ」に参加しました。
寺子屋デイで毎回行われるのがおなじみのインタビューゲームです。
そしてここ何年かは寺子屋塾に通っている人がファシリテーターを行なっているのですが、僕がファシリテーターを務めました。
インタビューゲームは基本的に2人組で行うペアワークなのですが、今回参加者が9人だったので3人1グループで行いました。
通常のインタビューゲームと異なる部分は、2人がインタビューしている時にまだ残っている3人目はそのインタビューの様子を観察する役になるのが1つ。
もう1つは、インタビューをした・されたらその相手へのインタビューはされない・しないという一方通行になることです。
実はこの3人版というのは僕も30回ほどやっている中でも1回しかありません。(参加者9人でないと大方やらないので)
ですが、3人版でしかやれない部分から、その1回だけで考えたことがいっぱいあり印象的でした。
実際、その時に僕が思った内容と同じようなことが全体交流の時に出てきました。
それは観察者という存在に関してです。
通常の場合でもインタビューするにあたってどのような位置に座るかという話題が出ます。
それに加えて観察者はどこからインタビューを見るかということが話になるのです。
多くの人はインタビューし合っている人とほとんど同じ距離に座ってみていました。
ですが中にはイラストのようにあえて離れて観察している人もいたのです。
その理由は観察者がインタビューに関係ない人であり、インタビューをしているのに干渉しないように存在をフェードアウトさせるためなのです。
また、ある人は離れたうえで途中で見る向きを変えてもいました。
一方、近い距離にいたことでインタビューの話に巻き込まれた場面もありました。
あと貴重なのはこのようでないとインタビューゲームをやっている様子を見ることがないというところにあります。
どのように質問していくのかという部分についての振り返りが盛り上がったのもそのためでしょう。
ちなみに僕が体験した時はインタビューされたのにインタビューを行えず、しかもほかの人がインタビューしているのを見ていた時に聞いてみたいことがあるのにできない・してくれないとジェラシーさえ感じました(笑)
これは僕も今回はじめて気づいたことですが、3人版だとインタビュー1回ごとに空気感が変化するということです。
3人の場合は1人目の人が2人目にインタビュー、次に2人目が3人目、最後に3人目が1人目へとインタビューが進みます。
2人で行なう場合には役割を入れ替えるだけで人が変わりません。すると2回目のインタビューは1回目の空気感を引き継いで行われがちです。
それが3人だと1回ごとに人が変わるからか、できていた空気感がリセットされるのです。
ファシリテーターとして場を見ていて2回目に切り替わった直後に気づいたのですが、「おもしろ!」って思いました。
そして参加者の交流で盛り上がった話題が言葉に関してです。
言葉というのは一意だと思いがちですが、実際は人によってとらえ方がちがうことが往々にあります。
逆に言葉へ固定観念として勝手な印象をもってしまうこともあります。
例えば「緊張」。「緊張」って悪いことって思いませんか?でも緊張するからこそ自分のバランスが整えられているのかもしれません。
「悩む」。「悩む」って悪いことって思いませんか?でも「悩む」からこそ学びが生まれるのであり人生が豊かになるのです。
昨日、ヴァイオレットエヴァーガーデンについての投稿をしましたが、実はそれは寺子屋デイに行く前に見たのでした。
良きドールとは、人が話している言葉の中から、伝えたい本当の心をすくいあげる者。
まさにそうだと思ったのでした。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
こういったインタビューゲーム会になったのですが、3人版だったことに2つ思うことがあって。
1つは3人版やるのなら定期イベントのプロセスもしっかり振り返る方でやりたっか(笑) 今回でもこれほど盛り上がりましたがもっと話が膨らむので。
もう1つは僕も3人版やりたかった←、1回しかやったことないし。 まぁそれ以上にファシリテーターをやりたかったのが参加者側に回らなかった理由ですけどね。
11/5追記
今回の主催である寺子屋塾の井上先生がこちらに参加者の感想を載せられました。
よければ合わせてご覧ください。