3か月前からずっと早く見たいと思い続けていた『劇場版 ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』をようやく見に行きました。(ツイッターでどれだけテロを受けたことか)
↓3か月前
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
早速今作の率直な感想ですが、正直これまでのヴァイオレット・エヴァ―ガーデンの見方、そしてそれを受けてのヴァイオレット・エヴァ―ガーデンや京アニへの期待度によって賛否両論あると思いました。
というのも見終わった時に感動が大部分を占めた中に1割の違和感をどこか感じました。
そしてレビューを見たところ否定的な意見もありました。
まさに違和感の正体はそこでした。
今作、外伝の時の独特だった構成とはまた違った構成ながらも独特でした。
3つの話を1つの作品にまとめこんでいます。
そしてそのうちの1つの話が今までのヴァイオレット・エヴァ―ガーデンのテイストとはかけ離れているのです。(見た人は分かるはず!)
その部分を落とし込めるかどうかによるわけです。リアリストであるほどそこに異を唱えることになってしまうと思います。
が、実はそもそも原作とアニメからの映像の方ではストーリーが大きく異なっていること、今までのアニメの中でも現実的なようでよくよく考えるとありえない場面がいろいろあったものです。
そう考えるとこの作品自体もともとご都合主義に作られているわけです。
なのでご都合主義の作品にはご都合主義な解釈で向き合えばいいわけです。
「なんか変だけどまぁそうなんでしょ」ぐらいの気持ちになれれば見やすくなると思います。
そういう意味ではむしろ確証もてないながらに気になったのが、前作の外伝のストーリーと矛盾している部分があるような気がしているのですが、深くは考えないようにしました。
むしろ最初にも言ったとおり3つの話を、それも時間軸が異なるものを織り込んだ挑戦的な構成を称えたいです。
あと、音や映像については相変わらずですが、さらに一層こだわってきたような気迫さえ感じました。
その足音をここまで強調してくるかっていうこともありました。
このせりふの言葉といったらあの曲だなと思って脳内再生したら挿入歌でしっかり組み込んできていたり。
京アニの神描写の1つである水の描写ですが、今回、場面の数ではなく、何種類の描写の仕方をしていたというほど多彩な描写がなされていました。
そしてこれはDVDとかで、もしかしたらアニメの方とも、じっくり見返したいですが、街の情景に変化がついていたのではないかと見てから思いました。
構成が違っても一貫しているのは人の心の複雑さでしょうか。それを存分に描ききった作品になっています。だからこそ多くの人が涙しているのでしょう。
これでアニメの1話2話を見たら逆の意味で泣いちゃうよねきっと(笑)
そして最後に、不幸な事件や災禍があって延期を余儀なくせざるをえなかったにもかかわらず作り切った京都アニメーションさんに心からの敬意を表したいと思います。
本当に作りきってくださってありがとうございました。