昨日の投稿でも出てきたイベントですが、「グラレコれんしゅう会」に参加してきました。
グラレコとは、
「グラレコ」とはグラフィックレコーディングの略称です。
これがどのように役立たせられるかというのは人それぞれでしょうが、例えば会議の様子をかき起こして話し合いを促進させる(ファシグラ=ファシリテーショングラフィック)などです。
ただ、グラレコはというと直訳は「画に記録すること」というようにとにかく言葉の情報を見える化させることを狙いとしています。
今回が3回目の参加だったのですが、前回の時に思った「聴くこと」を重点を置いて意識的に取り組んでみました。
さらに、今回はニュースを聞いてグラフィック化することを行なったのですが、聴きながら描くこととメモしてからまとめて描くことを交互にやってみました。
すると、聴きながら行なった場合の聞き取れた情報量は、メモをした時に比べて半分以下になってしまったのです。
そのため終わった時の感想で今度はどうして聴けなかったのだろうかという問いが生まれたのでした。
ただ、こう思ったことにどこか引っかかる部分があったのでした。
そして、時間を空けてこの時のことをもう一度考えてみました。そして思ったのが、どうしてこのような問いが自分の中で生まれたのか、ということでした。
聴く場面は日常の中にあふれています。雑談・会話する時、相談に乗る時、授業を行う時などなど。
さらに自分が行なっているインタビューゲームについては聴くことで成立しているワークです。そしてそれぞれの場合でも聴けなかったことに遭遇しているのです。
それで僕は今回のグラレコれんしゅう会で「聴こうとしたけど聴けなかったこと」に遭遇して、「日常でもより聴けるようになりたい」から「どうして聴けなかったのか」を疑問に思ったのです。
グラフィックレコーディングという技法的な参加動機から日常全般に関わるものに思えるようになった今回のグラレコれんしゅう会でした。