気分やさんの気ままなブログ

【感覚は論理を超越する】

 学校の数学の時間でやったとある小テストの問題。下の写真のような問題がありました。

 

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 解き方は省略しましたがこの問題、2問構成になっていますが(1)が正しく求められないと(2)は本来はできません。頭2つの三角形は問題の条件から分かっていることですが3つ目の三角形”△DAB”は36°だからこそのものなのです。

 

 なのですが、いざ採点してみると、(1)ができていないのにもかかわらず(2)が3つとも答えられている人が驚くほどいるのです。(1)もちゃんとできるように授業しろよっていう話ですが、痛いところを突かれるのは真摯に受け止めつつも今回はちょっとおいといて。今回注目したいのは「できていないのになぜかできている」という点です。写真の図は適当に書いたので角度も正確でないし二等辺三角形にもなっていませんが問題の方ではちゃんとした図がありました。その結果、求めていないにもかかわらず、なんなら(1)で間違った角度を求めてしまい物理的にはできあがらない、3つ目の三角形を解答できているのです。

 

 不思議じゃありませんか?(笑) 問題には3つあると書かれているわけではありません。なのに答えられているのです。この話ですごいことは2つあると思います。1つは図を見て視覚的に二等辺三角形だと認識したことです。角度や長さを測らずに角の大きさあるいは辺の長さが等しいと見れたのです。2つ目は、3つ目があることを推測できたことです。二等辺三角形をすべて答えなさい、という主旨の問題文からです。3つ目という可能性が脳のどこかに生まれていたというわけです。

 

 これは、おそらく直感とか本能とかの人間が備え持っているものがあって答えることができたのでしょう。この奇妙な現象から思ったのは、この1連の事実を子どもたちが自覚することができれば、とても伸びるのではないかということです。それは数学だけにとどまらず勉強の域も越えて能力というレベルでの話です。結果を客観的に振り返るとこういう見方ができるようになるのではないでしょうか。悪く言えば「ずる賢い」ですが案外そういったことが壁にぶつかったり危険を回避する時に役立つのでは?

 

 まあ、直感でなくて論理的に正規ルートで答えてほしいですけど(笑)