気分やさんの気ままなブログ

【会話での天候の話って】

 会話の定番の切り出しとして「天候の話」があります。それがどうしてふさわしいのかをちょっと考えてみました。

 

 その理由として大部分を占めるのは「共通の体験をした」というところなのでしょう。最近暑くなった・寒くなった、晴れ・曇り・雨、などそういった範囲でのことに関してはお互いの間で認識が食い違うことはまずないでしょう。そのように同じ立ち位置から始めているということがあるでしょう。ですが、深くまで認識を掘り下げてみると、例えば雨が降っているからどうかとか暑いからどうか、といったところの話になってくると視点がずれてくるわけです。それで話がずれ始めては寄り添いにかかり、話がだんだん膨らんでくるのでしょう。そして本題にも入りやすい状態になれるのです。

 

 それからもう1つは「定番の切り出しとして天候の話がある」という知識を持っているからこそのふさわしいと暗示のように思い込んでいるということです。何事でもそうだと思うのですが、日常において通説があれば良くも悪くもそれに乗っかりやすいものです。暗黙のルールというのもそうですね。そういった固定観念のようなものでもあるのではないでしょうか。

 

 この天候の挨拶の文化は生活にごく自然に溶け込んでいますが、けっこう日常生活の中の本質が潜んでいるのではないかと思うのです。

 

 ただ気になるのはお礼状などのかしこまった文書では始まりは時候の挨拶なわけですが、文書での時候の挨拶を添えるのが先に生まれたのか、それとも会話で天候の話がされるようになったのが先かどうなんでしょう?