気分やさんの気ままなブログ

【決断力がないと思っているあなたへ】

 先日、羽生さんが負けてしまい大きな話題になりました。フィギュアスケートの羽生くんではありませんよ、将棋の羽生さんです(笑) 朝日杯準決勝の藤井くん対羽生さんのことです。で、それは今回の切り口なだけなのですが(←)、羽生さんの著書『決断力』を読み終わりました。ので読んだ感想を書いていこうと思います。ただ考えさせられたことの量が多すぎて1週間近くの連載になると思います。

 

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 まず、この本を手にしたいきさつを少し話します。こう言うとエッ!?って思う方も中にはいるかもしれませんが、僕は決断するということに対してかなりのコンプレックスを抱いていました。例えば、そうですね、学校で子どもたちが激しめにじゃれ合っているというか手を出し合っている時に注意した方がいいかなと思ってもできないことがあります。もっと簡単なことだと、スタンドライトを買いに行こうと思っているけど今さっき見ていた動画が途中だし今日じゃなくても買えるからいいや、となってしまうのです。← そういった自分をどうにか変えたい、即座に決断できるようになりたいと思って買いました。

 そして読み進めていたのですが、途中からどうも書いてあることが落とし込めず頭に入ってこなくなってしまったのです。そこで第3章の途中まで読んでいましたが、考え方を変えて読み直してみることにしました。ちなみにですがこの本、1通り読むのに実質2周しています。さてどのように考え方を変えたかというと、最初は決断力というのは自己の中にあるものでそれをいかに高めるものかという考え方で読んでいました。しかし第2章から分からなくなってきました。その第2章は「直感」についてでした。そこで読み直した時にふと思ったのでした。

 

直感って自己の中から生まれているものなのか?

 

僕は自分で言うのもなんですが、直感は人並み以上には受けていると思います。独り身でイベントに参加するのも大概は直感です。そうやって直感をよく抱くだけあって直感というものについてを考えたことは度々あるからこそここで立ち止まったのでした。自分の経験上、直感というのは自分だけでは生まれないのです。直感というものはそのシチュエーションの環境・雰囲気、そういった言葉には言い表しがたいものから生まれるのです。

 そこで直感と同じで決断することについても自己からではなくその場の環境から引き起こされることになるものなのでは、という憶測が立ったのです。そうやって読んでみると書いてあることが全く別の話のように思えて理解できていきました。そして決断するということへの考え方もすごく変わりました。どう捉えるかは人それぞれですが、僕は「決断」というのは「行動」することの中の1つであり行動には3つの階層があるのです。一番下には、例えばもう夜遅いし寝よう、というような何となくしている行動です。これにはいい言葉が思いつかなかったのですが、次の真ん中に来るのは「選択」です。これは、駅でエスカレーターを使うか階段を使うか、みたいなまさに選択です。これはさっきにはなかった「迷い」が多少は生じていますよね。しかしすぐに行動できるようなものです。なぜすぐに行動できるかというと選択したものには理由が伴っているからです。楽だからエスカレーターを使うこともあれば、人が多くてその人たちの多くがエスカレーターに向かっていて列ができているから階段の方がいいや、と思う時もあります。このようにすぐに行動できる理由というものはその状況、環境によって生じているのです。そして環境には流れというものができていて選択した人はその流れの方に乗っかったと考えられるのではないでしょうか。

 この「選択」のレベルの上に「決断」は来ると考えるようになったのですが、このように考えてみるとこれまで決断だと捉えていたことを選択やもっと下のことだと捉えなおせるのではないかと思ったのでした。最初に挙げた子どもを注意するかしないかも、決断しろと自分に圧をかけるのではなく、その子にとってであったり他の子から見たりしてよくないということを読み取れればその流れに乗れば注意するという自然な流れがもうできているのです。

 

流れに乗って身を委ねればいいのです。

 

 さて、では一番上の層にある「決断」とはどういうものなのか?それは明日に書こうと思います。