気分やさんの気ままなブログ

【未来の先生展振り返り②】

 昨日の投稿で寝る前に書くと頭が活性化して寝れなくなると察しながらも今日も夜遅くに・・・ 昨日からの未来の先生展振り返りの第2弾です。

 

①共生社会のためのインクルーシブ教育実践 ~LITALICOジュニアの取り組みを中心に~

「ひとは皆、嫌悪するものに対して批判する権利を持つ 自分で「よりよい案」を提示できないとしても」

 この言葉から発表が始まりました。アメリカ教育者ジョナサン・コゾルの言葉だそうです。これを見せられた時、自分の心がすっと軽くなったような気がしました。まさにこういうことが多いんですよね僕。そういった場面に遭遇するたびによい案がないが故に意見が言えず自分だけモヤモヤ感が残ってしまい、それが気がかりになり話が頭に入らなくなり置いてかれる、みたいな。お初な場でこれほど安心感をもてたのはインタビューゲームぐらいなものです。

 それから、声を出すことを制限したワークをやった後にされた声が出せない人と条件が同じだという話や捉え方次第では健常者こそ実は障害であるという見方などすごく印象に残った話ばかりでした。また、眼鏡を「環境」と表現したのも環境デザインに興味を持ち続けてきた自分としてはぞわっとしました。そんな感じで今まであまり教採の勉強でも頭に入ってこなかったインクルーシブ教育と少しだけお近づきになれれたような気がします。

 

②"悲しみを強さに変える"教育アプローチとは? ~教員が飛び込んだ"被災地"と"こどもの貧困"のリアル~

 ここから2日目で、自分が春に岩手県に行ったこともあり聞きに行きました。その中でグループを作り、一人一人ばらばらに大学生・学校・一般企業やNPO・地域などの中から視点に立つ所属を選び被災後というケースで子どもの支援方法を検討しました。他の場でもこのようなことをやったことがありましたがその時と結果は似ていて、居場所づくりとコミュニティネットワークが大切だという結論になりました。ですが今回新しく気づいたことがありました。それは「学校が~をする」といったように学校が主語になると、子どもや家庭などに関する個人情報の保護という壁にぶつかり、結局大した提案ができないということです。ですが「子どもが自分の生活を話す」みたいに子どもが主語になり子ども自ら行動することができれば考えようがあるのではないかと思いました(おばあちゃんが集まれば井戸端会議が始まり誰も抑えようがない、みたいな(笑))。

 終わりがけに、東日本大震災の被害を受けた大学生から経験談を聞きました。その時印象に残ったのが、地元で普通に進学して地元で就職するという当たり前の将来設計も壊された、しかしそれ故に外に出るという視野も広がった、という話です。ポジティブな面と共に人間のたくましさを感じました。

 

 日をまたいで多様性や居場所があることの大切さ、そのような場を作るということがどのようなことなのかをじっくり考えることができました。