昨日の投稿に少し出てきた話が「余白」というものについてでした。
だいぶ前にもこの話を書いたことがありますが、今の状況も含めた話でリライトしてみることにします。
生活する上で「余白を作る」とはどういうことかという質問でした。
余白といえばふと浮かぶイメージは、印刷されている紙の中で字も何も書かれていない部分ではないでしょうか。
僕がいつも余白というものを考える時に反対なものとして考えているものが「デッドスペース」です。
デッドスペースも紙の中のスペースの部分にあたります。
しかし2つの大きな違いはデザインされているかどうかです。
デッドスペースは何の計算なしに存在している「ただの」スペースです。見てみると「何、この違和感あるスペース?」って思うわけです。
それに対して余白というのは、見やすくするためであったり全体のバランスを整えるために「作った」スペース、と僕は考えています。
そして、人についても同じように余白の話ができるというわけです。
例えばですが、疲れを取るために必要なのは「休み」です。ですが休みであれば必ず疲れは回復するものでしょうか?
僕も以前よくあったことですが、ただ大したこともせず家でゴロゴロ過ごしている日が続くと「自分なにしているんだろう?もったいない時間を過ごしているな・・・」なんて思うことがあるのです。
そういった時って肉体的には疲れはしませんが精神的にはストレスを受けていて疲れるのです。まさにデッドスペース的な休みになっているのです。
それに対して、「最近はゆっくりできる時間がなかったから今日は休もう」みたいなことであれば、同じ何もしないでも考えがあった上での、余白的な休みになるわけです。
今、デッドスペース的な時間になってしまっているなと思う時間があります。それは仕事中の店にいながらも何もすることがなくなった時の時間です。
終始がんばり続けていては心身がもたないので必要な時間ではありますが、その過ごし方がデッドスペース化しているのです。
この時間を余白に変化させたいなと思っています。