ツイッターで、ツイッターと連携して利用されている「質問箱」というものをよく見かけます。これは匿名でほかの人から質問を募集してそれに答えるというものです。
僕自身は質問箱をやったことがないのですが、少し前にこのようなことがありました。このブログの投稿に対して匿名でコメントが書かれていたのでした。
コメントをいただいたこと自体はうれしかったです。ただそのコメントの内容が問いであり、答え方が難しかったのです。
言葉をうまく選ばないと煽ったと思われかねない、そもそもこの質問自体にその人の考え方がだいぶ溶け込んでいるように思える。
だから答える前に相手の考え方を引き出して確認しておきたい、けど1投稿のコメント欄じゃやり取りが帰ってくることはあまり望めない。
そもそもこのブログが知人からしか見れないような状態になっているし、匿名じゃなくて誰か分かればその人を想定してその人に合ったコメントが返せるのに。
(最後の方はだいぶインタビューゲームに毒されているからこそ思ったことでしょう(笑) )
こんなことを思いながら最終的には誰が見ても当たりざわりのないような文章を心がけて答えました。ただ、やはりもっと詳しく答えてみたかったなという思いがありました。
たった1つの簡潔な質問だったのですが匿名なだけでこんなにも悩んだのでした。
このような経験もあって思うことが、最初に紹介したツイッターでの質問箱をやっている人ってよく匿名からの質問に答えられるなぁということです。
たとえ僕がやってみて質問がきたとしても悩んでしまってかなり時間を費やしてしまうことでしょう(笑)
あと、匿名だからこそ答えられることってあるのだろうかと思ってしまいます。
関係性によって答えられることと答えたくないことがあるものですが、匿名というと関係性によるものは無条件に答えられなくなってしまうのではないでしょうか。
ただ匿名だからこその言葉選びはあるかもしれないですね。
とはいえ、もちろん質問箱のよさはあるとは思っています。
そのようなものがあるからこそほかの人は気軽に質問してみようとなるわけで、(匿名ながら)疎遠になっていようがコミュニケーションをとれている感じもあるでしょう。
つまりは質より量を重視したツールということですね。
僕はおそらく、その人に合った、誤解を生じない、質の良いことを答えたいと思っているのでしょうね。